三章 前を向いて - 5/8

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「では、おれはコビー大佐たちの様子を見てきます」
「わかった。私は昼食の後にスモーカーと話があるから、明日の出航準備までは自由にしていなさい」
「はい」
 随分と話し込み、いつの間にか昼を迎えていた。
「スモーカーと話しでもしておいで」
「えーっ」
 鼻を噛んで立ち上がり、ずるっとすっ転んで絨毯にひっくり返る。はは、っとようやくセンゴクの笑い声が聞こえて、ロシナンテもホッと息を吐く。
「……ドジりました」
「ふ、お前のドジは筋金入りだな」
 コビー艦から引き上げてきた荷物から、センゴクが封の切られていないおかきを取り出して放り投げる。
「ほれ、スモーカー中将と食べるといい」
「……はーい」
 ロシナンテは苦笑しておかきを受け取り、そのまま部屋を去った。
「いつもお前は爪が甘い」
 その背を見送って、センゴクは呟いた。おかきはロシナンテに渡した一袋しかない。食べていないおかきで、一体何の動揺を誤魔化そうとしたのか。
 命の期限でなぜ安堵したのか。ロシナンテの口からは聞けなかったのが残念だった。
「……棚のおかきなど食べていないじゃないか」
 息を吐いて、閉じた扉の向こうを思う。
 窓の外はまだ重たい雲が垂れ込めている。

 ロシナンテはのんびりとG-5基地の廊下を歩く。宿舎から食堂室まではそうたいした距離でもない。
 窓の外に鍛錬をしているコビー艦の顔見知りを見つけて手を振る。
 ここでの監査は命じられていないので気が楽だった。
 宿舎を出て港にでも行こうかと思った矢先に、思いっきり足を払われる。鮮やかに地面に押さえつけられて、首筋に何かが突きつけられる。押さえ込まれた瞬間に体から力が抜け、海楼石だとはじき出した瞬間に体が硬直した。
「──まさか、あいつらこんなところで、……うえっ!?」
 力の入らない顔に力を込めて振り仰げば、強面の海兵が葉巻をふかしながら不機嫌そうな顔でロシナンテを見下ろしていた。その顔にロシナンテはがっくりと脱力した体の力をさらに抜く。
「何だ、スモーキーかァ……」
「ずいぶん鈍ったな」
「病み上がりにひでェこと言いやがる」
 急に奇襲をかけられたと思って冷えた肝が温む。後輩の可愛いちょっかいだったらしい。
 スモーカーの険しい視線がロシナンテを睨み付けている。
 長い十手の先には海楼石がついているらしく、体に全く力が入らなかった。
「現役の中将と比べるなよ。これでも船旅とリハビリで大分勘が戻ってきてるんだぜ。……海楼石離してくれ」
 手を振って降参を示すと、海楼石が離れていく。ふーと息を吐いて立ち上がる。久しぶりに受ける海楼石の脱力感は慣れるものではない。
 立ち上がって埃を払い、おかきを取り出す。こけたときにドジって粉々だが味に変わりは無いだろう。
「ちょうど良かった、これセンゴクさんから──」
「なんでアンタがセンゴク大目付の側付みてェなことしてる? そもそもおれァあんたが死んだと聞いていた。腹の底が知れねェ相手をおれの艦に乗せる気はねェ」
 ロシナンテの言葉尻にかぶせるように言い募られ思わず肩を竦めた。
 野犬と揶揄されていた若い彼を思い出す。相変わらず鼻がきいて頭の回る、そして警戒心の強い男だ。
「あー……、言いたくねェ、じゃ……納得してくれねェみたいだな」
 言葉の途中でぎろりと睨まれて肩をすくめる。さもありなん。
「当たり前だ。……言っただろう〝痛い目をみた〟と」
「……ヴェルゴか」
「……それも極秘情報のはずだ」
 スモーカーの顔が一層険しくなる。
「そうか、知らなかった」
 ドジったな、と思いつつもロシナンテはそれを撤回するつもりはなかった。

 目覚めてから手当たりしだいに漁った近年の情勢。その中に失踪したG-5前基地長の名を見たときに全てを理解した。そのときの無力感と悔恨は生々しくまだロシナンテを苛む。
 ヴェルゴ中将──自分が死んだせいでのさばり続けた兄の相棒。
 そしてスモーカーのまだ癒えきらない傷を見た瞬間に点と点が結ばれた。
 何しろ幼い頃から知っている兄の相棒であり、初代のコラソンだ。
「アンタ本当に海兵か」
「おれは海兵だ!」
 恫喝に近いスモーカーの問い掛けに、ロシナンテは咄嗟に反駁した。
 ほとんど反射のように直後に息を詰める。スモーカーの探るまなざしを見下ろして、息を吐いた。
 そう思われても仕方が無いことをしている。
 一度は全てを敵に回そうとした。
 あげくに兄を野放しにしたまま任務も失敗。まだ十三だったガキに自分のなすべきことを押しつけて、のうのうと寝こけていた愚かな男だ。
 それでも──。
「それ以外になれやしなかった」
 吐き捨てた声にはひどいくいが滲んでいる。
 スモーカーは黙ってそれを聞き、ため息を吐きながら後ろの扉を指さした。入れということらしい。
「ウチのに話を聞かれちゃ困るんでな。アンタが海兵だと言うんなら、洗いざらい吐け」
「イエス、サー。中将どの」
 そう言うとよせ、と苦み走った顔でロシナンテを咎めた。

 スモーカーに続いて入った先は予備室のような部屋だった。紐解かれぬ荷物が積まれ、倉庫のようになっていた。簡易テーブルの上には書類も積まれていた。スモーカーの葉巻の匂いが染みついた部屋だ。彼の使っていた部屋なのだろう。
 向かい合わせに座る。尋問でも受ける気分になりながら、煙草に火を付けた。
「相変わらず安煙草を喫んでるな」
「贅沢だよ」
 ふー、とふかすだけの煙を吐いてようやくわずかに落ち着く。
「……悪かったな、その傷」
「あ?」
「……ドフラミンゴの能力だろう? 命があって本当に良かった」
「それでなんでアンタが謝る」
 首を傾げるスモーカーにロシナンテはもう一度煙草をふかす。
 長くロシナンテで通してきた。ドンキホーテという名はそれだけの重みがあり、スモーカーも知らぬだろう。
「──おれの名はドンキホーテ・ロシナンテ。……ドンキホーテ・ドフラミンゴの実の弟さ」
「……何だと?」
 流石にぎょっとした顔でスモーカーはロシナンテの顔を見る。煙草に添えた手で口元を隠しながら低く呟いた。
「十三年前、北の海で勢力を伸ばすドンキホーテ海賊団を止めるために、あいつの弟であることを利用して潜入した。結局失敗したけどな」
「ヴェルゴと面識があったのか」
「ああ、ガキの頃に。だが海軍に潜入しているのを知ったのは死ぬ直前。文書もヴェルゴに握り潰された。そいつが前基地長だと知って、お前の傷はドフラミンゴの能力によるもの。分からない方が無理がある」
「13年前の北の海ノースブルーでドンキホーテ海賊団がらみなら悪魔の実の取引か?」
 ロシナンテは苦笑した。まったく頭の良い後輩には舌を巻く。
 だが、自分がその取引を台無しにした張本人だとは分かっていないらしい。
「それからずっと眠りこけて、ついこの間目が覚めた。疑うならセンゴクさんに聞いてみてくれ。だから……ヴェルゴがここまで中枢に潜り込んでいることも、あいつがドレスローザを掌握したことも……その後のことも知ったのはついこの前さ」
「冗談みたいな話だな」
「信じられねェのも無理はねえが、信じてもらう他にない」
「〝情報〟が正しけりゃ、信じるよ」
「……お前ほんと、嫌になるなァその勘のよさ」
 葉巻の煙が部屋にたなびく。
「昏睡、13年前からずっとだったか」
「ああ。昏睡3年目、だから10年前には海軍を除隊になってるって聞いてる。失踪もウチは3年で除隊だろ」
「だが、おれがあんたの殉職を聞いたのは、13年前になる」
「ん?」
 ロシナンテは首を傾げる。
「アンタは13年前に死んだことになってたはずだ」
「えっ、そうなのか!?」
「知らなかったのか」
「そこまでは……。そっか、だからか……」
「は?」
「いや、おれも納得した。生かしてくれたんだな……」
 ロシナンテもふぅ、と煙を吐き出した。
 同じようにスモーカーも煙を吐き出す。
 昔、同じように兵学校の喫煙所で鉢合わせたのを思い出した。あの日と今では大分変わってしまった。
「分かった。疑って悪かったな」
「いや、当然だろう。部下の命も預かってるんだ。……一度は全部捨てようとした男だし、信用なんてするな」
 そのくせ、未だにあの時のことを何一つ後悔もしていない男だ。肩をすくめて笑えば、スモーカーははたと呟く。
「……預かってるで思い出した」
 スモーカーがふと立ち上がって乱雑に積み上がった荷物を漁る。いくつも並ぶ木箱や小箱の奥。ごそごそと漁った箱の底から、平たい木箱を探り出して投げる。
「あった」
「うおッ」
 投げ渡された箱を開けて、ロシナンテは思わず息を詰めた。
 ロシナンテの手の平に余るほどの大口径の拳銃。
 新世界のかつての最新式リボルバーで、自分が憧れて止まず、幾度となく上官に購入申請をしてようやく手に入れた思い出の愛銃と同じものだ。
 潜入捜査のために身辺整理をしたときに、そういえば捨てるに捨てられずにいた。捨てるのも惜しく、そういえば押しつけるように銃を使わない後輩に渡したのだった。
「返すよ」
 ロシナンテの手によく馴染むそれに、ロシナンテは目を丸くする。手の大きいロシナンテのためにグリップが大きく分厚く、その代わりに口径も最大の高威力の拳銃。よく手入れをされているのが分かった。
「……海軍本部型フリントロック式八連発五〇口径リボルバー……」
「あんたの〝形見〟だっただろ、先輩」
 同じものどころか──そのものだったらしい。
 目を見開いてスモーカーを見上げるロシナンテに、スモーカーは初めてふん、と珍しく鼻で笑って見せた。
「まだ持ってたのか」
「捨てるなっつったのアンタだろう。帰ってきたなら返すさ。預かったもんを返せたのは……初めてだが」
「帰ってきた、か……」
 スモーカーの言葉を反復してロシナンテはくるくると愛銃を回す。バランスもそのままで、しっくりと手のひらに馴染む。13年、この律儀な男はきちんと手入れをしてくれていたのだろう。優しさにつけ込んで押しつけたいくつもの〝預かり物〟を内の一つにしか過ぎないものも背負ってくれていたのだろう。
「すまねェ、スモーカー」
「……アンタは昔から根っからの海兵だったよ」
 ロシナンテは優しい後輩に口元を緩ませた。
「ああ。結局、おれはそうなんだろうな」
 「雑用」としての生活で、かつてロシナンテはそう生きていたことを思い出していた。潮風が髪をゆらし、見上げれば空にカモメが飛んでいる生活は、当たり前のようにロシナンテの肌に馴染んだ。
「ありがとう、これでおれはまた前を向いていける」
 かつて海軍本部ロシナンテ中佐はそうやって生きて、死んで、蘇った。
 これはきっと、チャンスだった。
 死人が与えられた、大きなチャンスだった。
 何もなせぬまま生き返ってしまったロシナンテに与えられたの仕事だ。
 深海へ沈んでゆく能力者だって足掻く権利くらいはあるだろう。