四章 立ち上がって - 2/5

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 花のあふれるエルガニア列島。
 海底火山が隆起した飛び石のように並ぶ五つの島はことごとく花に満ちている。  咲き乱れる花々は殆どが島の固有種で、この島でしか見られないものばかりだ。
 花から作られる蜜の花酒の美味たるは伝説の如し。
 その伝統的な花の蜜酒の製造に加え、固有種のハーブなどを使った医薬品をここ数十年で発達させ、偉大なる航路だけではなく東西南北の海への輸出も盛んで首都のある本島よりも莫大な富を得ている。
 その花にあふれた島の正面に軍艦が一隻停泊していた。
「ここ、火山列島なので温泉もあるんですよ、センゴクさん」
 我先にと駆けだしていった休日を勝ち取ったのG-5の面々。
 文字通り、停泊中にいつ休日を手に入れるかの真剣勝負にはロシナンテも巻き込まれ、運良く今日を勝ち取れた。
 船番を割り当てられてしまったり、仕事が残っている海兵達が船縁や望楼からやっかみまじりにそれを見送り、ロシナンテは手を振ってそれに応える。もちろん、帰ってきたのはブーイングである。
 そそくさとタラップを下りていく非番上陸の海兵の一人に声をかけられる。
「ロシやんも酒場行くだろ? どっちがかわいい女の子とデートできるか勝負しようぜ」
「そういうことすると海兵さん? ってよくしてくれる姉さんが減るからやめろよな」
「なんだ、ロシやんイケるクチか」
 幾人かに囃し立てられて肩をすくめる。
「そういうわけじゃねェが、ドジっ子はモテるんだ。海兵さんなのにドジっ子なの? かわいいわねって」
 そんな軽口にひゅーっと囃し立てる海兵を笑って追い立てる。ロシナンテもまた休日らしくラフな姿であった。
 制服の上だけを変えて柄物のシャツを着ている。センゴクもラフな格好の上に将校外套コートを羽織っていた。
「そーかそーか。そりゃ楽しみだ」
「二番島の旅館は温泉付きですよ」
「一仕事終えたらゆっくりしようなあ」
 和気藹々と話す二人の後ろで、たしぎ大佐とスモーカーもタラップを降りていた。この二人もまだコートを脱いでいない。
「この島の街の中央にこの島の代表、島親のアルカニロさんのお屋敷兼お役所があるそうです。回収したケビーの船のJOYを見せたらすぐに会うと。予定よりずっと早いです!」
「……面倒くせェ」
 手の中のメモに目を落としながらタラップを降りるたしぎ大佐に、スモーカーはつまらなそうに鼻を鳴らしている。
 たしぎ大佐は今にも殴り込みをかけそうなスモーカーをなだめて手帳のメモと平和な町を見上げる。
「島親にアルカニロさんが就任してから、この島は海賊の被害がありません。もう20年近くになりますね」
「ああ、たしぎ大佐。それは島親が……」
 ロシナンテが口を挟もうとしたところで、つるりと足が滑る。懐かしいような慣れた浮遊感に思わず目を閉じた。センゴクがぎょっとした顔をするのが見え、直後にびっくりした顔のたしぎ大佐と呆れたスモーカーが見える。
「ロシナンテさん!」
 親切なたしぎ大佐が慌てて支えようと手を伸ばし、タラップに躓く。
つんのめるたしぎ大佐に慌ててロシナンテもひっくり返りつつ手を伸ばそうとして、ぼふん、と煙が視界を覆った。
「何回同じことやってんだ……」
 モクモクと煙るスモーカーにひょいと港に放り投げられてロシナンテは頭を?いた。
「ありがとうございますスモーカーさん」
「おれはドジっ子なんだ」
「何百回聞いたかわからねェよ。おっさんが」
「海に落ちるんじゃ無いぞロシナンテ」
「はい、センゴクさん」
 膝の砂を払って立ち上がる。立ち上がってようやく、タラップの降り口で待っていた男が口を挟む。
「ようこそお越しくださいました。海軍の皆様。私は島親アルカニロ様の使いの者です」
 深々と頭を下げる男に、たしぎ大佐がきっちりと敬礼をして返す。
「はい、我々は海軍G-5支部〇〇一部隊です。この度は我々の調査寄港をご許可いただき感謝します!」
「ええ、ありがとうございます。この島を騙った麻薬が見つかったとかで……」
「ええ〝トラッパー〟ケビーが、荷物を──積み荷の麻薬をここで揚げたと言い張るのです。迅速な対応感謝します」
「この島は確かにアルカニロ様のおかげで小規模ながら質のいい医薬品の生産に優れておりますが……麻薬なんてものはとんと縁がありません。濡れ衣を晴らしていただけることを期待します」
 困った顔で肩を落とす男に、たしぎは苦笑交じりにそうですね、と追従する。
「工場への視察の許可をさっさとよこせ」
 鋭く口を挟んだスモーカーに、従者が慌てて立ち上がる。
「はい、それはアルカニロ様にお伝えしております。馬車へどうぞ」
 腰の低い男の手の先に、色とりどりの花で彩られた美しい馬車が用意してあった。二頭立ての白馬が曳く、白い花かごのような馬車である。
 おとぎ話から飛び出してきたかのようなそれにスモーカーは眉間の皺の深さを数ミリ深め、ロシナンテはうわぁ、と小さく口の中で呟いた。
 あれに乗って街を行くスモーカーはなかなかに想像しがたい。
「お前アレに乗るの」
「代わってくれんのか、雑用」
「嫌だ」
 耳打ちをするとスモーカーにぎろりと睨まれて、ロシナンテは肩をすくめる。
 すごい立派ですね! と素直に感心しているのはたしぎ大佐くらいのものだった。
 たしぎ大佐とセンゴクが馬車について使いの者と話す後ろ姿を見つめながら、ロシナンテは煙草で口元を隠しながらスモーカーに囁いた。
「スモーキー、島親に油断はするなよ」
「……するわけねェだろう。容疑者だ」
「万一〝特別な美酒〟とか言われて酒出されても飲むんじゃないぞ」
 スモーカーの視線がこちらを向く。無言で続きを促されて、ロシナンテは低く囁いた。煙を吐き出す。
「ここは麻薬の原材料の産出島の可能性がある。──メインがSMILEになってから規模は減ったものの、島親はジョーカーに麻薬を売り続けていた、というがある」
「ああ、そういう情報でおれたちはここにいる。……アンタの集めた情報なんだろう。ロシー先輩」
 スモーカーは険しい目つきでロシナンテを見上げる。
じゃねェ、アンタはそれを知ってる」
 ロシナンテは黙って頷いた。
 十三年前、ヴェルゴに握りつぶされたあの文書。
 記されていたあまたのブラックマーケットの大物達の証拠は殆どが使い物にならなくなった。ジョーカーの失墜で共倒れになった相手もいる。
 だが──文書に記した以上の情報は、ロシナンテの〝頭〟に残っている。
「十三年前までのおれの調べた情報だ。アルカニロとはから面識があるしな」
 ドフラミンゴの取引相手も、その情報も、ルートも、証拠も。文書に書いていなかったわずかなものも含めれば膨大な情報になる。リハビリの期間、ロシナンテが一番はじめに行ったのは頭の中の情報をすべてタイプすることだった。
情報これをおれが証明できれば正式に海軍が動く。失敗すりゃァおれの〝情報〟は何もかもが灰になる」
「ずいぶんと信用されてねェな」
「まァしかたないさ。一度は海兵をやめて全部捨てて死んだ男だ。センゴクさんがチャンスをくれた。本当に感謝してもしきれェ」
「……そうか」
「うまくいけば北の海の闇も多少は晴れるはずだ。どうにかやりのこしちまった仕事をやり遂げたい」
 葉巻をふかし、スモーカーは低く呟いた。
「変わったようで変わらねェな」
「そうか?」
 ロシナンテは首を傾げる。
 スモーカーは肩をすくめて、馬車に向かった。
「じゃあロシナンテ、またあとで」
「はい、センゴクさん!」
 可愛らしい馬車に乗り込んだセンゴクとたしぎ大佐、スモーカーを見送ってロシナンテは思いっきり伸びをした。ただの雑用相手には流石に馬車は準備されていない。仕方ないので港から街の中央まで歩くほかにないだろう。
 頭を切り替えてロシナンテはのんびりと歩き出した。風は涼しく、空は高い。
 秋島の秋の良い天気だった。

 どこか牧歌的な街は、北の海の雰囲気とよく似ていた。
 淡い橙のレンガ造りの町並みと石畳の道の合間合間にロシナンテの名前の知らない花々が咲き誇って香りを立てていた。
 コスモスに似た白い花で埋まった花壇、群れなす蜂のような黄色い花を垂らす街路樹。店の先に垂れる赤い釣り鐘の形の花、庭先には桃色の八重の花びらの花が風に揺れる。
港からうろうろとしながら大通りにたどり着いた。
 ちょうど市が立っているらしく島民や商船の船乗りや連絡船で訪れたらしい観光客で大通りは騒がしい。
 この一番島が最も大きく列島のほとんどの島民がこの島に住んでいる。一番島から入ってきた客は温泉街のある二番島に移動するのが恒例だった。
 一番島の大通りにG-5基地の海兵の姿は見えず、すでに二番島に繰り出しているのだろう。
 大通りの市の露店を眺めているだけでもドライフラワーや、乾かしたハーブや、お茶の葉、店先につるされた良いにおいの香るサシェ、色とりどりの花の蜜漬け。植物を利用したものばかりでロシナンテは流石にあっけにとられた。
 その露店の一つ、話し好きそうな顔をした女性にロシナンテは煙草をもみ消して声を掛ける。
 腰を折って眺める板の上のハーブは殆どがロシナンテの知らない種類だ。
「すげェなァ。おかみさん、これ全部ハーブかい?」
 背の高いロシナンテに一瞬目を丸くした恰幅の良い女性は、柔和な顔をくしゃりと笑みに変えた。
「そうだよ。全部薬師さまの見つけてくださった島の草花だよ。この店のはあたしが干してるから、上等だよ。これは目薬に、これは傷薬につかうのさ」
「薬師様といえば……島親の」
「アルカニロ様さ。あの方のおかげで島は平和で、豊かだよ。四番島の工場ではこれを素晴らしい薬にしていろんな島に配ってるのさ」
 女性はまるで自分が褒められたように嬉しそうに微笑む。ロシナンテはにこにこと笑みを浮かべて頷いた。
 「そんなに変わったのか?」
「あの方が薬を作り始めて、やっぱり潤ったねえ。伝統の蜜酒ももっとおいしくなったんだから」
「へェ、有名だよな。この島のお酒」
「ああ、あの方には感謝してもしきれないねェ」
 薬師と呼ばれ親しまれている男がその知識をこの島に与え、それを教授している人がいる。
 花の美しさの他に価値を見だし、花を材料に酒を造って外に売る──それだけを聞けば何の変哲も無い島の暮らしだ。
「そうかァ……」
 雪のような花弁の美しいドライフラワーを一束つまみ上げてロシナンテは呟いた。この島固有の花なのだろう。知らない花だった。
「これとこれ二つくれる?」
「はいよ、まいどあり」
「そうだ。おすすめの酒場とかある? さっき聞いた酒飲んでみたくてよ」
「〝END〟って言えば出てくるさ。これを飲んだらほかの酒なんて飲めなくなっちまうからって名前なんだ。二番島の店ならどこでも出してるよ」
 女性はにこにことロシナンテに答えながら、花の香りが詰まったサシェをロシナンテに渡す。この島の花の匂いが詰まっていて、持っているだけで体が染まるような多重的な香りがする。
「ありがとう、奥さん」
 ロシナンテはにっこりと笑って礼を言って、店を去った。
 散歩も進まぬうちに、向かいから少し異様な集団が進んできていることに気がつく。
 深くポーラーハットを被った花の香りのしない、スーツの男たちだ。
 市の店に見向きもせずすれ違う一瞬の間に、ポーラーハットの男の一人がロシナンテを見上げた。
 一瞬ロシナンテの足が止まり、ざっと顔を青ざめさせる。。
 しかし、振り返った先にはもう誰も居なかった。
 一瞬追いかけようかとたじろいだ足を押さえつける。ロシナンテは煙草に火をつけて咥え直し、煙を吐いてため息を誤魔化した。
 一年、なるほど残された時間は少ないらしい。
「……せめてこれだけはやり遂げねェとな」
 気を取り直し大通りを離れ、細い路地に足を踏み入れた。 大通りと違って人の生活の気配のする細い道を歩く。
 樽や木箱がつまれ、コートやシャツが頭上に干されている細い道。
 賑わっていた大通りの喧騒が遠くなった辺りで、ロシナンテの耳に荒い声が届く。
「待て!」
 切羽詰まった怒号が聞こえてロシナンテは思わず振り返った。
 丁度振り返り際に、背後から駆けてきた誰かにぶつかって石畳にひっくり返る。
「わっ、ドジった! すまねェ!」
「悪ィ、怪我ねェか?」
 ロシナンテの下敷きになるようにひっくり返った青年は慌てた声で、ロシナンテと同時に声を上げた。
 立ち上がるのに二人して四苦八苦していると、後ろから同じように駆けてきた男の友人らしいボンバーハットの青年がロシナンテの手を引いた。
「こいつがごめんな、怪我ねェ?」
「平気平気!」
 ひっくり返ったシャツの埃を払い、手を振る。ロシナンテとぶつかった青年も慌てて立ち上がる。石畳に転がったキャスケット帽を被り直して、至極申し訳なさそうにサングラスの下の眉を下げた。
「ごめんな」
「花は無事だし、慣れてるからな」
「ならよかった……ッ!」
 背中に再度、初めに聞こえた怒声が一層近づいて聞こえる。ボンバーハットの男が肩をこわばらせて声の方を振り返った。
「ヤバい、みつかっちまう」
「追われてるのか?」
「あんたを巻き込むわけにゃいかねェ、行くぞ!」
 キャスケット帽の青年が駆け出そうとして、がくっと膝をつく。転がった時に自分を庇って足を捻ったのだと先程を思い出して察する。
 ボンバーハットの青年が相棒に肩を貸そうと手を伸ばす。しかし、荒っぽい声はもう隣の角まで来ている。
 二人が狼狽えて眉を寄せる。
──その判断は咄嗟だった。
 ロシナンテは指を鳴らし、積まれた木箱の影に二人を押し込む。
「サイレント」
 手を伸ばして目についた大きな服を物干しローブから引き抜く。
「──じっとしてろ。隠してやる」
 指を鳴らして防音壁を張る。二人の青年を隠すように引き抜いたファーコートを羽織って広げ、タバコをふかす。
 声の主は憲兵らしい服の厳つい男たちだった。
 ロシナンテを怪訝そうに見ると、別の方向に走っていく。
「ふぅ……行ったか」
 遠ざかっていく憲兵を見届けてファーコートを肩に担いで木箱の裏を覗く。
 青年たちは驚いた顔でロシナンテを見上げていた。
「大丈夫か?」
 もう一度指を弾いて防音壁を解除し、二人を隠していたファーコートを吊り下げてあったハンガーに戻して振り返る。
 よく似た驚いた顔をしていた二人は慌てて頷いて立ち上がった。ボンバーハットの青年がほっと息を吐く。
「助かった! ありがとう」
「恩返しだから気にするな。兄ちゃん足大丈夫か?」
「もう平気! 一瞬変に曲がっただけみてェ」
 キャスケット帽の青年は足首をぐるぐると回して破顔する。我ながらかなりの体格である自覚はある。それを咄嗟に庇って少し足を捻っただけとは、ただの市民ではないのだろう。
「なんで兵士に追われてたんだ?」
 ロシナンテが訊ねると二人は顔を見合わせて複雑そうに口を噤む。
 何か言いたくない事情でもあるらしい。
 だが、この島で兵士──ひいては島親の私兵と争う理由は二つしか無い。一つはまだ起こっていない争いであり、もう一つはこの島で常に起こっていることだ。
 ロシナンテは腰を屈めて二人に顔を寄せる。すん、と鼻を鳴らせば二人からは抜けきらない潮の匂いと鉄とオイルの匂いがした。この島の人間に染みついている花の匂いは殆どしない。
 島の外の人間だ。
「海賊か? 許可証なしに島を渡ったりしたか?」
「……アンタは?」
「おれも似たようなもんだよ」
 船乗りという意味では、と言外に言い訳をして応える。
 途端に二人から高まった警戒に、ロシナンテは内心で驚いた。
 大方の海賊という生き物は、同類に対してわずかにでも警戒を下げるものだ。海賊が海賊に対して警戒するのは、用心深い性質の海賊団か、海賊嫌いの海賊──この二人の場合はどちらかと言えば前者に近い表情をしている。所属しているのが賢い海賊団なのだろう。
 ボンバーハットの青年が再度礼を告げて踵を返そうとしたのを引き留める。
「助けてくれてありがとう。おれたちは行くよ」
「まあまあ、そう言うなよ」
 立ち去ろうとする二人の肩に手をかけて止めた。
「そのまま行ったらまた兵士に見つかるぜ。騒ぎを起こしたくはないんだろう? 良い道を知ってる」
「そうだけど、アンタも島の外の人間だろう」
「分かるか?」
「……この島の人間は花のにおいがするから」
 キャスケット帽の青年が低く呟く。その顔に憂いを読み取って、ロシナンテは思わず口角を上げた。
「屋敷に誰かいたりするか?」
「……アンタ、何者だ?」
「ちょっと事情通のお兄さんだ」
 二人からの警戒が極限まで上がる。びりびりと肌を刺すような覇気にロシナンテは煙を吐いた。二人とも優男めいているが、驚くほど洗練された動きだ。鍛え抜かれている。本気で攻撃されればロシナンテでは到底敵わないだろう。先ほどの私兵程度ならば簡単に殺せただろう。
 しかし、彼らはそれを一度もひけらかさずにいる。言葉の端々から仲間思いと、思慮深さを感じた。
 どこか──誰かに似ている。
 海賊だろう彼らに、なんともいえない不思議な好感を感じていることをロシナンテは自覚していた。
 それをおくびにも出さずにロシナンテは煙草をふかして二人を追う。
「待て待て! そんな警戒するなって! ちょっと島に詳しいだけだ!」
 追い縋るロシナンテに二人が怪訝そうに顔を上げて、同時にぎょっと身をのけぞらせた。
「アンタ、煙草で肩燃えてるよ!」
「ドジった!」
「ペンギン、水ゥ!」
 街角の水場の水で鎮火され、三人ともに肩で息をする。
「もー、なんなんだよアンタ……」
「ドジッ子なんだ。昔から」
「あはは」
 二人は顔を見合わせて肩を落とした。それから気が抜けたような顔で笑う。
「分かった。道を教えてくれ」
 ロシナンテはほっとして二人に先だって道を進む。
 道すがらに話してみると二人──キャスケット帽の青年がシャチ、ボンバーハットの青年がペンギンと名乗った──は、ロシナンテが直感した以上に驚くほど気の良い海賊だった。
 北の海ノースブルー、それもロシナンテのよく知る極寒の最北部出身の海賊で、一〇年ほど前に旗揚げしたらしい。
 北の海の話題で盛り上がっているうちにロシナンテの案内で軍艦が繋留している港とは逆の海岸に着く。
住民が使っている漁船の小舟が浮かぶばかりの寂れた浜辺だ。潮風が甘い匂いを吹き流している。
 波打ち際に足を運ぶ。無事に海に着いて二人はほっとしているようだった。
 すこし南に視線を向ければ大きな橋が島を繋いでいる。その橋の真ん中に関所がある。あの関所を通れるものは島の者か許可証を持つものだけだ。
 ロシナンテはそれを見ながら、二人に声をかけた。
「お兄さんからの忠告だ。この列島のつくりは知ってるよな」
「ああ。四つの島が一直線につながる列島。この島がメインで、二番島、三番島って呼ばれてる」
 ペンギンが頷く。ロシナンテは磯の岩に腰掛けて補足する。落ちていた流木で五つの直線を砂浜に描く。 一本の線が五つに区切られたような列島。それがこのエルガニア島だ。火山島であり、島には山が多い。
「……五つの島があるのがこの列島だ」
「五つ?」
「ああ──今はまだ無関係でいられるだろう」
 シャチが首を傾げる。
「一番島に島民の八割くらいが住んでる島だ。二番島は宿や酒場とかが多い。三番島以降は通常外部の人間は入れない。──表向きはな」
 実際は三番島は海賊相手の歓楽街だ。それくらいのことは新世界ならどこでもやっている。
「ああ。普通の歓楽街に見えた」
 ペンギンが頷く。彼らもそこに停泊しているのだろう。彼の指がロシナンテの引いた砂浜の線の四番目を差す。
「四番島は島親の研究施設があると聞いた。ここは海賊も住民も、許可が無ければ入れないと聞いた」
「そうだな。三番島以降は許可証があったとしても島親の許可がなければ入れねェ」
 ロシナンテも頷く。
 その奥にもうひとつ小さな島があるのは、今はもう殆どの人間が知らない話だ。
「島の酒場で金色の酒を飲んだんじゃないか? 甘いやつ。あれが不味いんだ」
「あ……」
 覚えがあるのだろう、シャチの顔が歪む。
「島でその酒を飲んだ仲間がおかしくなった。中毒だと思う。ひどかったのはおれとこいつ──あとキャプテン自身」
「とっさにキャプテンが解毒したんだ。それを知った島親が接触してきた。キャプテンはそれに乗って、今はもう一人の仲間と屋敷にいる」
 シャチの言葉を継いでペンギンが補足する。
「どうしても会いたかったんだけど、許可証がないのがバレかけて騒ぎになる前に逃げてきたんだ」
「アドバイス遅かったか。だが、解毒できたのは凄いな」
「キャプテンだからな! でも、できたのはおれたちだけで、船長の解毒は……」
「そうか……」
 首を振りながら、ロシナンテは眉をひそめた。
 気を取り直して磯の浅瀬を指差す。
「こっから磯を進めば二番島まで渡れる。夕方を待って──」
「いや、海に出れたらこのまま泳いで三番島まで帰れる」
 ペンギンの言葉に泳ぐ? と思わず尋ね返しかけてロシナンテは飲み込んだ。北の海の極寒港育ちの男の泳ぎの達者はロシナンテも聞いたことがあった。
「……あのな」
 言うべきか迷いながらロシナンテは口を開いた。
 このまま時がたてば彼らの海賊団は島親の手で壊滅する。おそらくは、彼らの海賊団ももうすでに島親の罠にかかっているのだ。あの館はそういう場所だ。
「……船長はかわいそうだが、なるべく早く島を出た方が良い。長居するのは向かない島だし、このままだと船長もお前らも共倒れになるぞ」
 二人はぐ、と口元を曲げた。おそらく屋敷の仲間を置いて出る気はさらさら無いのだろう。
 それ以上ロシナンテも強く勧める義理はなく忠告に止めようとして、ふと思いつく。
 ポケットから先ほど買ったサシェを二人に渡す。
「海賊や、外の人間は匂いでバレるんだ。これやるからもっていきな」
 サシェを受け取り、二人はきょとんとしてロシナンテを見上げた。
「どうしてそこまで良くしてくれるんだ?」
「……あー」
 ロシナンテは言い淀んで苦笑した。どうしてこの海賊の青年たちに良くしているのかあまり自分でもわかりはしない。
 気持ちの良い青年たちだから? たまたまぶつかっただけの自分を気に掛けてくれたから? 北の海の出身だから? ──あのクソガキを重ねてる? どれも理由になるようでならない。
 ロシナンテは昔からそういう男だった。
「……気まぐれだよ。心配なら理屈くらいはつけれるが」
「いや、ありがとう。本当に助かったよ。あのまま騒ぎになってたらキャプテンに迷惑かけるところだった」
 もう一度礼を告げる義理堅い青年が、ざぶんと水の中に消えた。飛ぶように泳ぐ青年の水影はもうすでに遙か沖に見える。
 シャチもサシェを防水布にしまい込んで笑って振り返った。
「忘れてた! アンタ名前は?」
 ロシナンテは一瞬逡巡して名乗る。
「……おれはコラソン。この島をぶっ壊しにきた男だ」
「へっ?」
 ざざんと波音が響き、遠くでペンギンがシャチを呼ぶ。
「じゃあな、もう会わねェことを祈ってる」
 手を振ってロシナンテは橋の方に歩き出す。水音が聞こえたのでシャチも沖に泳いでいったのだろう。
 ロシナンテはフゥと煙草を吹かして、舌打ちをした。ポケットに入っている袋の中のものに触れて、眉間の皺を深めた。
「やっぱり、ノースに流通しちまってるか、〝JOY〟」
 北の海に残した愛すべきクソガキを思い出す。
「ローはこういうのに手ェ出してないといいなァ……」
 ぽつんとこぼれた愁嘆は誰にも聞こえぬまま潮風に流れていった。