四章 立ち上がって - 4/5

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 二番島の旅館は火山島らしく山の裾野にあった。
 既に日が暮れてしばらく経っている。G-5の海兵たちに誘われていた二番島で一番大きい酒場に顔を出し、少しばかり話をする。酒場の姉さんたちは急にやってきた海兵に嫌な顔一つせず楽しそうに給仕をしてくれ、ロシナンテもまた色々と話が弾んだ。
 新世界に流通している度数の強いラム酒を呷る。酒場では確かに〝END〟と文字の躍る金色の酒が盛大に振る舞われていた。
「おいしいか?」
「ロシやんも飲む?」
「おれはいいや」
 あまり過ごすと体に障るので今は少しだけにして席を立った。
 随分と引き留められたが、大目付を待たせてると言えば流石にそれ以上は引き止められなかった。
 酔いを覚ましながらロシナンテは二番島の山を登る。幾度か山道をドジって転けたが今更の話だ。
 海兵たちの宿舎になっている宿とは別に電伝虫で予約してあった旅館に足を運べば、もう既にセンゴクは旅館に着いていたらしい。
 案内された部屋では浴衣に着替えたセンゴクがちゃぶ台の上で書類を広げていた。
「すみません、遅くなりました」
「女の子と楽しくしてたのか? ん? モテてたんだろう?」
「聞いてたんですか!? あれは冗談ですってば! 昔だって面白がられてただけですよ」
 開口一番にからかわれてロシナンテは慌てて手を振った。
 若い頃ならまだしも、今はもう体の年齢は三十九。精神的にはまだ二十代のつもりなせいで貫禄が出ないのが悩みどころだが、もう酒場の給仕にちやほやされる歳ではない。
 そう言い訳を重ねてロシナンテの慌てる様子を面白がっていたセンゴクが風呂に誘う。ロシナンテもほっとしながら頷いてセンゴクに伴って大浴場へ向かった。
 泊まり客はほとんどが近隣の島の商船の船乗りや気ばらしの島の住民らしく、一般人離れした体躯のセンゴクとロシナンテに一瞬視線を向けたがそれほど衆目を集めはしなかった。
「温泉なんて久しぶりだな」
「本当に。子どもの時以来じゃないですか? うわ、湯船にまで花が浮かんでる」
「男湯か…?」
「女の子なら喜ぶんですかね? ちょっと邪魔だなァ」
 大きめの内湯に浮かぶ美しい花をかき分け、二人並んで肩まで浸かる。ロシナンテはーと息を吐いた。
「もうおっさんだな」
「酷ェ!」
 センゴクもまた湯船につかると悦の入った声を上げる。
「たまにはいいなァ」
「センゴクさん働き過ぎですもんねえ」
「半隠居でそこまで働いて溜まるか。今日の挨拶だってついて行っただけだ」
 殆どをスモーカーとたしぎ、あと数名の海兵に任せて自分は立っていただけだと笑う。大目付が立っているだけで十分に役目を果たしているだろうに。
 互いに能力者だ。のぼせる前に湯船を上がり、ついでに体を洗う。
「背中流しますよ」
 センゴクの背中をねぎらいながら洗う。
 子どもの時はあれほど大きく、背伸びをしても肩に届かなかった背中は、今は自分よりもすこし小さく見えた。
「ありがとう」
 お湯を掛けられたセンゴクが目を閉じて呟く声に、ロシナンテは苦笑した。自分は十分な孝行もできずにいるのに、どうしてこう優しいひとなのだろう。
「……」
 口の中で転がした言葉はどうにもロシナンテの外にはでてくれなかった。

 談笑しながら旅館の食事に舌鼓を討つ。飾り花が多いのには辟易したが、全て除けてしまえばいいことだ。
 腹を膨らませ、あとは寝るだけとなる。
 広縁の窓から二番島の喧騒を見下ろしていたセンゴクがちらりとロシナンテを見た。
「少しだけ使えるか」
「はい。──〝サイレント〟」
 指を鳴らして防音壁を張る。
 街の喧騒も、山の獣や鳥や虫たちの声もすっぱりと消えた。
 耳が痛いほどにしんと静まり返った空間に重たい沈黙が落ちている。
 楽しい休暇の終わりだけが聞こえてくるようだった。
「ケビーのことと積み荷の〝JOY〟──しらを切りましたか」
「ああ。無関係の一点張りだ。調べたいなら調べてみろとな。スモーカーが四番島の工場への査察許可をもぎ取っていたが、ありゃあ随分と自信がありそうだ。下手を打てばこちらが弾劾されるだろう。明日、スモーカー中将とたしぎ大佐、あと数人の部下で四番島の工場へ行くことになった」
 センゴクの言葉には辟易としたものが滲む。ロシナンテも流石にそれは想定内だ。
「でしょうね。そう簡単にいくならドフィが取引相手に選ぶはずがない。ここまで海軍の目を盗めもしない。……当初の作戦通りになりますがいいですよね」
「尻尾でも出してくれればお前に任務を与えずに済んだものを」
「……センゴクさん」
 今はもう表情の読めぬセンゴクの瞳には自分は一体どう映っているのだろう。
 ドジな愚か者か。
 信用に値しない裏切り者か。
 それとも、彼の任を受けるに値する海兵か。
「……本当に大丈夫なんだな?」
「はい。この島の闇を暴く〝策〟があります」
 センゴクはため息を吐いて、ロシナンテを振り返った。
 その顔は、既にロシナンテの養父から、世界の均衡を担い、守る一人の海軍将校となっている。
「……海軍本部雑用ロシナンテ、いや──海軍本部ロシナンテ中佐」
「はッ」
 声色の変わったセンゴクに、ロシナンテは片手を額に上げた。タールに汚れた手を上官に見せぬようにする、海兵式の敬礼。ロシナンテの骨の髄まで染みついている。
 智将センゴクの静かな声がロシナンテにいつものように命じる。
「この島で製造されている麻薬に関する証拠をつかむこと。原料および製造方法と成分表の証拠を持ち帰ること──そして生きて帰ること」
 ロシナンテの目が丸く開かれる。ロシナンテの戸惑いを理解しながら黙殺したセンゴクが言葉を継ぐ。
「以上の任務を言い渡す」
「……はッ」
 ロシナンテは一瞬詰まった声を引きずり出して、揺れた声で応じた。