38
「キャプテン!」
「シャチ!」
展開したROOMで、シャチとシャチの背負う老人を足下の小石と入れ替える。背中の老人からは血のにおいがする。
「キャプテン! この爺さんをお願いします! おれは戻らねェとコラソンが!」
「コラさんがどうした」
「一人で島親と戦ってます! この爺さんはこの島の協力者です。早く行かねェと……」
「わかった、手当をするから落ち着け。手短におれと別れた時点から報告」
「……アイアイ!」
珍しく泡を食ったようなシャチを落ち着かせてローは老人をスキャンして止血する。枯れたような老人だが、心肺機能や内蔵はこの年にしてはまだ元気な方だ。 ローが診察している内に落ち着きを取り戻したシャチが整然と話しを進める。
大体の話を終えたあたりで、そばで聞いていたスモーカーもコラソンが自分と同じ海兵であることを理解したらしくまた深く眉を顰めている。コラソンから伝えられた言伝にさしかかってシャチがスモーカーに視線を向ける。
「えっと、作戦は順調。引き際を見誤るなって」
「引き際……?」
今、戦況は明らかにたしぎ大佐が指揮を執る海兵とハートの海賊団の連合軍が優位に動いていた。ローとスモーカーが手を下すまでも無く控えていられるのがその証だ。その上でセンゴク大目付が一番島に残していた軍艦でこちらに近づいている。
ローが手当を終えると、シャチはすぐに身を翻そうとする。ローも老翁を海兵に任せて立ち上がった。
「まて、おれも行く」
──どう、と壁面に空いた大きな洞窟から噴泉のように大量の水が噴き出したのはローがROOMを展開したその瞬間だった。
その水に吹き出されるように一人の人影が落ちた。
シャチが青ざめる。
「やべェあそこは……!」
「扉が! ロシナンテ坊ちゃん……!」
気が付いた老翁の狼狽した声にローはぞっと振り返った。老翁はその吹き出した水を見てわなわなと震えている。
「死ぬのは儂のはずじゃった……」
「爺さん、どういうことだ!」
地面に膝をついたスモーカーが問いただす。老翁は痛みをこらえながら話し出した。
「地下に祭壇がある。水の足りぬ年はその鍵を開けることで地下から水を大量にくみ上げる──その鍵を開けるものは命を掛けねばならん。逃げられるかどうかは一か八かじゃ」
「……それを利用して」
「ああ。五百年使われなかったが、これを使えばこの花畑は全て水の下に……」
「先輩が開けたのか」
そして──おそらく賭に負けたか、ドジったのだ。ローはぞっとして立ちすくんだ。
スモーカーが立ち上がるよりも先にローのROOMが展開する。しかし、ローの能力の範囲にはコラソンの姿は無かった。苦々しく焦燥の滲んだ顔が鋭く舌打ちをする。
「コラさんがいねェ」
「おれが泳いでいく!」
「無茶言うな。滝登りでもする気か」
「でもキャプテン!」
今にも飛び込みそうなシャチの襟首をひっつかむ。サングラスの下の涙目とかち合って唇を引き結んだ。
コラソンがローにとってなにがしかの重要な人間だということをシャチははっきりと察している。
だからこれほど焦っているのだ。だが、彼とクルーは秤に掛けるものではない。
あっというまにあまりに大量の水がカルデラを埋めていく。水かさはもう既に咲き乱れる花の背丈を超えていた。
「クソ、コラさん……!」
「チッ……! クソ、引き際ってそいうことか……。たしぎ! アルカニロとそいつら全員捕縛! 退却する!」
「はッ!」
戦場に良く通るスモーカーの命令に遠くからはっきりとたしぎの返事が返る。退却!と女海兵の凜と張った声と共に敵味方と問わずに水の張るカルデラから退いていく。
残るのはローの命令を待つローのクルー達だ。
「白猟屋! 何か手は! その手の作戦は!」
「……ッ」
スモーカーの顔が歪む。ローもまた必死に頭を回す。
老翁ががっくりと酷く老け込んだ顔で膝をついた。落ちくぼんで老いた目に涙がこぼれている。
「あの人なら……」
スモーカーがハッとした顔で文書ともに渡された書き付けを懐から取り出した。
「あの人なら最後自分がドジるのも計算に入れてるはずだ」
文書とはまた別に持たされていたものだ。ローもスモーカーの取り出したそれをみる。筆圧の強い懐かしい字を懐かしむ間もなく内容に首を傾げた。
「……『ちかのみち、ふくろうならしってるはず』? 何だ……」
「……ふむ、そういうことか」
「わッ」
シャチが悲鳴を上げる。スモーカーとローの頭越しに書き付けをのぞき込んでいたのは白髪の老兵だった。
「大目付……」
スモーカーが呟く。センゴクはローの見たことの無い厳めしい顔で手を後ろ手に組んでいた。
「諦めは人一倍悪い子だ。私が仕込んだのだから」
呆然として水に沈むカルデラを見つめている老翁の横に、センゴクは膝を突いた。
「あなたが?殿かな。あの場所から地下水路はどこへでる? 出口は内側だけではないだろう」
センゴクの言葉に老翁の目に光が戻る。
「……東の海岸の、夫婦岩の磯じゃ! じゃが、あそこは魚も溺れるほど……」
ローは目を見開いた。シャチが声を上げる。
「さっき渡ったときに海流の癖はつかめた! おれとペンギンなら潜れる!」
「……行けるか、シャチ」
「任せろ!」
ROOMが展開される。他の者を残すのも面倒でそこにいるものを片っ端からポーラータング号のそばに集める。
「シャチ、ペンギン海へ!」
「任せろォ!」
「シャチ、ガイドは頼むぞ」
「もちろん」
シャチがペンギンを先導して先んじて二人が海に飛び込む。ローは潜水準備に合わせてスモーカーに指を差す。
「白猟屋! 軍艦の海兵どもに心臓の音さえ立てるなっつっとけ! ベポ! 溺れた男だ、身長は290強の長身! 能力者だ」
「アイアイ!」
「野郎ども! 急速潜行!」
ポーラータングは今までに見たことの無いような素晴らしいスピードで海の底へ潜っていく。二年前でさえ大将黄猿の猛攻を避けて離脱できたほどの艦だ。
スモーカーは軍艦に戻ろうと煙になり、ふと静かに海を見るセンゴクを振り返った。
彼はじっと潜水艦の沈んだ荒海を見つめていた。手を後ろに回して背筋を伸ばす姿は、かつて大将、元帥としてのセンゴクを彷彿とさせる張り詰めたものを纏っている。
わずかに口が「ロシナンテ」と動いた。
スモーカーは葉巻からふぅと息を吐き、やかましい甲板を静かにさせるために煙となって吹き去った。
39
足を地下水流にひっつかまれてロシナンテは藻掻く暇もなく揉まれていく。
ロシナンテは悪魔の実の能力者、当たり前だがカナヅチだ。水に触れたところから体の力は抜けていき、流されるままになる。
──こんな時ばっかりドジるんだおれァ……
必死に吸い込んだ息が漏れないように口を押さえながら、ロシナンテは久しぶりに自分のドジを嘆いた。
数秒もしない内に舌にわずかに感じる塩っ気に海に出たことを悟る。地下水脈のいくつかは海にでるものだったのだろう。
どんどん体が沈んでいく。
頭上に白い水面が揺れ、白いはしごのような光を幾筋かロシナンテのそばに投げかけていた。普通の人間なら泳いで浮かび上がれるだろう。だが能力者のロシナンテにはなんの助けにもならない。
胸ポケットのカメコがじたばたと暴れていて、ロシナンテはせめてもと取り出す。無事に浮き上がってくれるといいと、水面に向かって浮いていくのを見送った。
こらえていた息も限界が来てごぼりと呼気が泡をつくって上に上がる。
ちくしょう、と肺の中の空気が無くなっていくのを感じながらロシナンテは自由のきかない、あっというまに暗い死の水底に沈む体で必死に水面に手を伸ばした。
藻掻き方を思い出した体が、沈みながらも必死に海面の光に手を伸ばす。ちくしょう、あと少しだったんだ。
センゴクさんが直々にくれた任務、おれは本当に一個残らず達成するするもりだったんだ。もうあの人を裏切りたくねェのに。
ああ、ローにもう一回ちゃんと会いたい。
はっきり顔が見えなかったから、あの子の病気はちゃんと治ったかおれの目で見れてない。
ああちくしょう!
なんだってあんなに死にたいと願っていたときには死なねェのに、死にたくないと思うときに死ぬんだ!
肺の空気をついに失って、ロシナンテは真っ逆さまに沈んでいく。
最後に見たのは、海を飛ぶ黄色い大きな大きな魚の幻覚だった。
→六章 今を生きていく