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キャプテン! と叫ぶ声にローがはっと振り返る。そそり立つ岩壁から転がり落ちるように花畑に飛び出してきたのは何者かを抱えたシャチだった。自分を見つけたらしくこちらに駆け寄ってきている。
隣に立つスモーカーが、ため息をつく。
「潜り込ませるのが早すぎる」
「そりゃコラさんに言え」
「誰だそりゃ」
肩をすくめるスモーカーは十手を肩に担ぎながら幾人かの海兵の後ろにぬっと立って睨みをきかせていた。海兵たちとローのクルーたちは互いに競い合うように五番島の護衛や奴隷たちを倒していく。
今、この場で彼らは〝協力者〟であった。
地上の工場へ飛び出した時のあの一瞬の停電が何かしらの合図だと知ったのは工場の幹部および研究員の捕縛に号令を掛けていたことで分かった。
十手であっさりと幹部を捕縛した白猟のスモーカーは、シャンブルズで飛び出してきたローとペンギンを見て目を丸く見開き、その口の葉巻を落とさないのが不思議なほどの顔をしていた。もう少しローに余裕があれば少しばかり揶揄ってやれただろう。しかし、そのときのローは号泣の名残を消す為に能力を使うのに手間取っており、そんな余裕は無かった。
海兵たちが驚きすぎた一拍ほどの間を置いてぎゃああ! と声を揃えて驚愕の声を上げる。
トラファルガー! と悲鳴を上げるもの、久しぶりだなァ! 何しに来やがった、元気か!? と混乱しているものと様々な声が廊下にうわんと響く。
「うるせェ騒ぐな!」
驚きを瞬く間に乗り越えたスモーカーが部下を一喝する。その間にも手元だけが動いて足蹴にしている白衣の男を器用に縄で縛り上げている。そのままローに突き出された十手はペンギンが武装色の覇気を纏った手刀で弾く。
自分に当たりそうならペンギンが止めるだろうし、スモーカーも自分たちに攻撃の意思がないことを見抜いて牽制に留まっていることをローは理解していた。
ローは海軍本部中将の攻撃に毛の一筋も動かさずに、握った手を突き出した。スモーカーが流石に困惑した顔で口の端から煙を吐き出す。
「何の真似だ」
拳に握りしめているのは記憶よりも小さく感じる鍵の掛かった筒。それを、ローは手のひらを開いてその生真面目な将校に突き出した。
「落ち着けよ、白猟屋。おれたちは〝協力者〟らしいぜ」
海兵なら誰でも分かると言ったのは嘘では無かったのだろう。
周りに居た海兵たちがぎょっと目を見開いた。
眉間に一層深い渓谷を刻んだ男がローと文書を交互に睨み付けて、ローに説明を求める。
「預かり物だ。アンタに……〝葉巻を銜えた厳ついおっさん〟に渡せと言われてな」
にやりと口角をつりあげてやれば、スモーカーの片目が眇められて苛立った様子で吐き捨てる。
「お前が海兵の指示に従うタマか」
「M.C01746 海軍本部ロシナンテ中佐からだと言ってもか?」
ローの言葉に、ざわっと海兵立ちが騒ぐ。それ以上にスモーカーの顔が険しくなりペンギンがじりっと腰を落とした。
「ロシナンテ?」
「ロシやん留守番じゃねェの?」
「ロシやん雑用だろ?」
ざわめく背後を無視して、スモーカーはフゥと再び煙を吐く。
「……死んだ人間のM.Cを、あの人が伝える訳がねェだろう。ロシナンテ中佐は死んでる。あいつは再任用の別人だ。さすがにそんなドジは踏まねェだろうし、三十億の海賊を協力者にするような人じゃねェ」
思わず漏れたローの鋭い舌打ちにスモーカーがまた深いため息を吐く。
「何を企んでる?」
文書を乗せたロー手のひらが再び閉じられようとして、悔しげに指先が震える。
スモーカーは親しい者がわずかにわかるほどに困った顔で十手の切っ先を下げた。
「だが、他に理由があるなら……」
スモーカーが言いかけた言葉は、差し込まれた二人の声に途切れる。
「そう言ってやるな、スモーカー」
「そうですよ! その人は色々あってこの島に偶然来ていただけです!」
廊下の向こうからおかきをかじりながら悠然と現れた将校と彼に合流しながら慌てて駆け寄ってきた女海兵をスモーカーは睨み付ける。
「センゴク大目付」
「……センゴク」
「久しぶりだな、トラファルガー・ロー。積もる話は──出来なかったみたいだな。心配するな、後で時間をとろう」
ローの一睨みなどどこ吹く風で、受け流すと、センゴクはゆっくりと目の前にあるものを読み上げるようにスモーカーに語りかける。
「海軍総則第三十五条その六 海軍規定の情報文書はそれを所持するものが何者であれ、およそ全ての海兵はそのものを保護し、文書を真性として扱うものとする──そうだろう?」
まなじりは柔らかに見えるが、眼光は鋭くスモーカーに向いていた。
「……ただし、海賊による罠と考えられる場合はそのかぎりではない──でしょうが」
「スモーカーさん」
かたくなに警戒するスモーカーに、たしぎは声を上げた。
「そもそも合図の後にはロシナンテさんが合流の予定、予定が既に変更されてます。文書を持っているならその人は協力者じゃないですか」
「……死人のM.Cを知っていてもか。あの人はそんなつまらねェドジを踏むやつじゃねェと思うが」
「その意見には同意だが……私はロシナンテの観察眼を信用している。スモーカー中将。それに、トラファルガーのことなら私より中将の方が知ってるんじゃないか?」
センゴクの言葉に、G-5の海兵たちも頷く。
「スモやん」
「スモやん!」
「……よく知ってるよ」
スモーカーはがつんと床に十手を降ろし、ローに向き直った。その知っている、がローのことなのかロシナンテの観察眼のことなのかはローには分からなかった。
ローに突き出されたままの情報文書を大きな手が掴み上げ、そのままぱきりと開かれた。
「ああ。間違いない。アルカニロ摘発の証拠だ」
スモーカーの言葉に、たしぎとG-5の海兵たちが気勢を上げた。
情報は確かに〝正しい〟相手に渡った。厳つく、生真面目な海兵の元へと。
──今度こそ間に合った。
その安堵と泣き出したくなるほどの感情はおそらくこの場ではペンギンにしか伝わっていないだろう。
スモーカーはぼんやりとその筒の行方を追うローの前で額に手を当てた。
「協力感謝する」
「……白猟屋、敬礼似合わねェな」
「うるせェ」
「よかったですね、キャプテン!」
「ペンギンは黙ってろ。──ROOM」
指をかざしてローは島一つを殆ど覆いかねないほどの空間を作り出してから、ああ、と呟く。
「……〝天竜人が絡んでるから早めに公表した方が良い〟とコラさんが言っていた」
海兵たちの驚きの声が聞こえる前に、ローはシャンブルズでペンギンもろとも姿を消す。
そのときに逃げ隠れしている白衣の男たちを大まかにバラし、まとめて送りつけてやったのはおそらく、ローが酷く機嫌が良かったからだ。
幾度かROOMを張り直して三番島に停泊する母艦へ戻り、一気呵成に仲間達の毒素を抜き取る。
成分表を確認した甲斐もあって殆ど後遺症も残らないだろう。
そしてローはそのまま一番島から屋敷で海兵たちと大暴れしていたベポと──なぜか大変意気投合したらしいローと入れ替わった海兵──をポーラータング号に放り込んで声を上げた。
「野郎ども!」
おお! とポーラータングが震えるほどの声を上げるクルーたちの目には怒りが燃えている。
ここまで仲間共々コケにされてただで済むと思うなと憤るクルーたちをローは鼓舞する。
「緊急潜行! 全速力で五番島へ向かう! 海流も突風も海の下なら関係ねェ──潜水艦の意地を見せろ! この島をぶっ潰すぞ!」
もちろん、今度帰ってきたのは二〇人勢揃いの威勢の良い「アイアイ!」の声だった。
ポーラータング号はスクリューで海を切り開いて五つ目の島に向かった。