五章 歩き出して - 3/12

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 三番島側にある表向きの工場と山を挟んだ反対側。入り組んだ岩ばかりの湾の奥にある細い道にロシナンテは悠々と入り込んだ。湾の中にはいくつか荷物が積まれた小型帆船が並んでいる。この荷物の中身を沖でランデブーしている相手に引き渡すのだろう。行き先を調べるだけでも大物が釣れる予想にそわりと偵察心がうずく。ロシナンテはそれを押さえて山裾の滝の裏をのぞき込んだ。
滝の裏にある自然の洞窟を利用している搬入口は知らなければ通れない。
 ロシナンテは知らなければ入り口とも分からない場所に顔を出してその場に居た門番に契約書を突き出した。
「ケビー船長の部下だ。頼むよ、入れてくれねェか?」
 ひらりとかざした〝契約書〟に門番はううん、と首を傾げる。
「でもよォ、ケビーは海軍に捕まったんじゃなかったか?」
 ロシナンテはサングラスをずらして情けなく眉を下げた。
「だからそれは船長だけなんだって! たしかに海軍に襲われたし、〝外科医〟の命令で荷物は焼かれたけどよ、他のみんなで次の荷物を運べって言われてるんだ」
「ああ~〝外科医〟に言われたならしかたねェなァ」
「だろォ!? おれたちは言うとおりにしただけなんだ」
 ロシナンテはさめざめと目元を押さえながら泣き真似をする。
「ほら! これ船長の契約書、おれがもらったんだぜ。約束通り〝JOY〟は北に運ぶから、その代わり酒と分け前をくれよォ。あの酒がないとみんな動かなくなっちまった。これしかおれたちには当てがねェんだよォ」
「ああ……、ハハハ、動かなくなっちまったのは島においていけよ。俺たちが上手に〝使って〟やるから!」
「三番倉庫に新しいのは置いてある。運ぶんならそこらへんのジャンキーを使え」
「ああ、ありがとう……、こ、これお礼……」
 すこし厚みのある包み紙を差しだそうとして、ロシナンテは足を躓かせてひっくり返る。包み紙が破れて中の札束が覗く。
「おいおい、ドジ野郎」
「うう、おれはドジっ子なんだ」
「情けねェな!」
 男達はひっくり返ったロシナンテを馬鹿にして笑いながら、下卑た笑みを浮かべて札に飛びつく。その包みに気をとられている内に、ロシナンテはそそくさと門をくぐり抜けた。 ロシナンテの背中に声が掛かる。
「場所は分かるな」
「ああ、船長に何回か着いてきたことがあるから、一人で大丈夫だ」
「煙草は消せ」
「は、はい……!」
 背の高い頭をぺこぺこ下げながら、 ロシナンテは内心で舌を出した。
 海のクズってのはなんでこうも金目のものに目がねェ生き物なんだ? ドフィなら絶対上に報告するように躾けたぞ。煙草くらい吸わせろばーか。
 長年の経験からこういう施設は無意識に中に居る者を〝組織のもの〟だと判断する。中に入ってしまえば殆ど成功だ。
 スムーズに進んだ潜入にロシナンテは思わず笑みを浮かべた。歩きながら防水箱から取り出した小さな生き物を胸ポケットにそっと乗せる。
 胸元に顔を覗かせるのは小さな映像電伝虫である。
「さァ、がんばろうぜ。おまえの目で見たもんが全部証拠になる。明るくしちゃダメだからな」
 映像電伝虫のカメコはむにむにとロシナンテの胸ポケットでなんともいえないとぼけた顔をしていた。

 ロシナンテはフェザーコートを翻しながら工場への階段を降りていく。
 陰からのぞき込んで目の前に広がった光景にロシナンテは小さく息を詰めた。
──ビンゴ!
 洞窟の奥には大きな地底湖があり、そこから水を汲んでいる巨大なパイプが見える。
 その湖畔には地底湖の水を使った水車がぐるぐると回っている。
 地底湖の湖畔に、誰も知らない工場が確かに存在していた。
 広く大きな洞窟の中の工場には、裸電灯がオーナメントのようにぶら下がり煌々と安っぽい明かりで洞窟を照らしていた。洞窟の中にはむせかえるような甘い匂いが充満していた。
「あい、あい、あい」
 ぼんやりとしたかけ声と共に元々は海賊だったらしい人間達がラインを動かしている。
 動きや声が怪しいのは、原材料そのものに触れているから余計に中毒が進んでいるのだろう。
 工場を埋め尽くすのは純白の花を付けた植物を絞る機械。
 その絞った汁を煮詰めるための場所。遠心分離でざらざらとラインを流れる黄金の結晶。
 まるで砂糖工場の様相だった。
 だが、そこで生成されているものをロシナンテは知っている。
 ロシナンテはそっとカメコ電伝虫で映像を保存する。特殊なカメコはフラッシュを焚くこともなければ、独特な鳴き声を上げることもない。 ただその小さな殻の中に真実を写し取る。
「こいつは人間倉庫?」
「そう。そろそろ補充船が来るだろ。最近来た海賊から補充があるからこいつは用済みさ」
「あー、あの潜水艦の」
「船長ももうすぐだってアルカニロ様がいってたぜ。わりと保った方だが、治療薬飲んじまったらもうダメさ」
 工場のラインの監督者らしい顔をすっぽり覆うマスクを付けた男達が話をしながら近づいてくる。
 慌てて木箱の影に身を隠すと男達は何かを引きずりながら歩いていた。赤い髪の女はもう抵抗する気力も無くなっているのかうなだれたまま、雲を歩くような足取りで男達に手錠を引かれている。
 三番島で酔い潰れていた女とうり二つだった。
「かのキャプテン・タニアの妹もこうなっちゃあな」
「お姉ちゃんは島で飲んだくれてるのになァ」
 ロシナンテは知らない海賊だが、きっとあの島でロシナンテに声をかけた女がこの女の姉だったのだろう。船長を歓待する振りをして薬漬けにし、その裏で船員をじわじわと使い物にならなくするという、〝?〟からの情報を思い出した。
 三番島に残されているのは皆船長だった。
──酒を求める船員を見捨てて先へいくものはかろうじて救われ、見捨てられずに島に残った者は三番島で朽ちていく。
「使えなくなったやつやいらねェやつを貴族に売り飛ばすのは効率いいよなァ。なにせ天上のお方だ」
 ロシナンテの目が見開かれた。人を人とも思わない下卑た笑い声にロシナンテの手のひらに爪の痕が残った。
「……嫌な予感が当たっちまった」
 ロシナンテは低く呟く。やはり労働力で使うばかりではなく、聖地とのパイプも作っていたらしい。
 奴隷になるなら死んだ方がマシだ。 そう叫ぶ人間をロシナンテは海兵として幾人も見てきた。ロシナンテもそう思う。
 人間は自由であることだ。
 は、と息を吐いて工場を忍んで出ようとした時だった。
 カンカンと原始的な半鐘が鳴る。
「逃げたぞ!」
「新しいジャンキーが逃げた!」
 ロシナンテの足が咄嗟に動いたのはその声の中心だった。