五章 歩き出して - 4/16

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 時は少し遡る。
 まだ東の空に太陽が昇る午前中。
 パドルシップの連絡船に乗ってたどり着いた四番島の入り口には島親とその部下が待ち構えていた。
「さあ、皆さん工場へ行きますよ!」
「はしゃぐなよ」
 スモーカーが呆れたため息と共にたしぎと部下の海兵達を窘める。センゴクは好々爺の風情でおかきをかじりながらG-5の海兵達を眺めている。
「貴方は……」
「私のことは気にするな。温泉入るついでについてきただけだ」
 手をふるセンゴクに島親は一瞬困った顔をしたが、その言い分に納得するほか無く、黙りこくる。
 その様子を知ってか知らずか、たしぎが彼の前で敬礼する。
「お待たせしました、アルカニロさん。今日は工場を見学させて戴けるそうで、ありがとうございます」
「ハシシシ、いえいえ。これで〝不安〟が解消されるなら安いものです。お越しになる海兵さんはいつもご覧になって安心して帰られますよ」
 島親の言葉にスモーカーは鼻をならした。つまり、痛くもない腹を探られて迷惑してるからさっさと帰れ、という意味だろう。
「ふん、随分と人数を絞らされたが」
「この島の周りは限られた時間しか船が出せないのです。その時間でもまともな帆船では歯が立ちませんのでね。あしからず」
「そうなんですね……確かにもう波が高い」
「もう次は昼まで、その次は夕方まで船は出ません。お昼はご用意していますから、夕方の便でお見送りしますよ」
 島親は愛想良く微笑みながらたしぎに案内した。
 島親がぱんぱん、と手を叩けば、それぞれ前に出た部下がふかぶかと頭を下げる。それぞれ白衣のようなものを着た研究員だか医者だかのような男達だ。愛想良く細い目をしていたが、必ずしも非戦闘員ではない体格をしている。
「たしぎ」
「はい。昨日決めた班で回ります。一班はスモーカーさん、二班はセンゴク大目付、三班は私の引率です」
 たしぎの指示に合わせ、海兵達が慣れた様子でさっさと班に分かれていく。
 それを見ていた島親の部下の一人──聴診器を下げた男──が班の前に部下達を並ばせた。
「では一班は私〝内科医〟フィジャン、二班は彼女〝麻酔医〟アナスティ、三班は彼〝外科医〟サージェンが案内します」
「はーい!」
 元気の良い返事が海兵達から上がる。妙に厳つい海兵に囲まれた中──一人の海兵は深いため息を吐いた。
 帽子の下のその目の下には深い隈が刻まれ、海兵というにはあまりに不健康そうな顔は、険しく不機嫌に染まっていた。

──更に一日前。一番島の屋敷にて。
「──つまり、あなたを四番島へ連れて行けば、この島の闇が明らかになると言いたいんですね」
「ああ、手を組ませてやる」
 悠然と窓際の椅子に腰掛ける男はにやりと豹柄の帽子の下で口角をつり上げて取引を持ちかけた。
 その後ろには黙りこくった大柄なシロクマのミンクが大太刀の太刀持ちをしながら佇んでいる。
「そうだ。おれにはこの島の闇を暴く〝策〟がある。監視の目があって自由に動けないんでな、手伝え。海軍」
「あなたらしくもない、トラファルガー」
「お前達もそれを探しに来たんだろう? 数十年手詰まりが続いているらしいが」
「私たちにも別の手くらいあります。今更無策で来るはず無いでしょう」
「へェ? 〝智将〟センゴクが来てるのも策の内か」
「あなたこそどういう風の吹き回しです? お互いに益の無い取引では?」
 それに一歩も引かずに対するのはドアの前に立つ女将校──たしぎ大佐である。彼女は怪訝そうな顔で椅子で足を組むローを見下ろしている。
 スモーカー中将が島親との会談中、シロクマのミンク族に連れ込まれた部屋の中にいた顔色の悪い男にたしぎは心底驚いていた。もちろん一緒にミンク族に連れ込まれた部下も同じだ。
 彼らは口元に手を当て、あわあわと泡を食ってローとたしぎを見比べて困惑している。
「大佐ちゃん、どうする? トラファルガーはもう七武海じゃねェよ、海賊だよォ!」
「スモやんが黙ってねェよ!」
 けれどそういう海兵達が誰も彼らへ攻撃しないのは、海兵達が確かにパンクハザードでの恩義を感じているからだ。たしぎやスモーカーから攻撃せよと言われれば銃を向けることのできる海兵たちだが、彼は間違いなくG-5の海兵たちにとっての〝恩人〟だ。
 たしぎは眼鏡の下でじっと男を見ながら思案する。
 男──ローはゆったりと椅子に腰掛けたままたしぎの出方を窺っているようだった。
 シロクマのミンク族──ハートの海賊団の〝ペット〟ベポがキャプテンに声を掛ける。
「……キャプテン」
「黙ってろ」
 そう長くもない思案を終えてたしぎは顔を上げた。
 眼鏡の奥の眼光にローの眉が不思議そうに上がる。
 この女はこんな目をする海兵だっただろうか、とばかりのローの怪訝そうな目線をはっきりと受け止めてたしぎは頷いた。
「あなた一人なら連れ出せます。ごめんなさい、ミンク族のあなたはすこし目立ちすぎる……」
「おれのことは気にしないで!」
「大佐ちゃん!」
「ただし、これでもう私たちはあなたに〝借りた〟ものはありません。この島を出ればもう敵同士」
「そもそも何も〝貸した〟覚えはねェが」
 肩をすくめながら、ローはベポに視線を向ける。ベポはほっとしたように微笑んで頷いた。言葉は無くともなにかの疎通が済んでいる。
「大佐ちゃん!」
「おれたちァ大佐ちゃんが決めたことなら……!」
「大佐ちゃん、一体どうすんだ」
 口では渋ってみせた海兵たちもたしぎに既に方法を尋ねるほど乗り気である。
 少しばかりの思案の後、たしぎはキッと顔を上げてローを指さした。
「脱いでください!」
 小声ながらきっぱりと言い切られ、聞き間違いの可能性を潰すたしぎの宣言に、珍しく──本当に滅多になく、大海賊トラファルガー・ローはぽかんと目を丸くした。
「は?」

 そろった男達の素っ頓狂な声。きょとんと首を傾げたたしぎがローと海兵たちを急かした。
「ほら早く! 海兵の服は嫌かもしれませんけど、私たちに紛れて出れば見つからないでしょう。あなたのふりをするくらいは出来ます」
「ああ、そういうこと! 海兵さん良いアイデア?」
 一番に得心したのはローの後ろでぶふっと吹き出したベポだった。たしぎがホッと眉を下げて笑みを浮かべる。
「ありがとうございます、シロクマさん」
「おれベポだよ、キャプテンと仲間をよろしくね」
「わたしは海軍本部大佐、たしぎです。ベポさんも、私の大事な部下をよろしくお願いします」
 ベポはたしぎに手を伸ばして握手をする。ふわふわとした肉球の感触に、たしぎの厳しい海軍将校としての顔が思わず緩む。
「おいベポ!」
「わっ、調子乗ってすんません……」
 ローがぎろりとベポを睨みあげると、肩を落として項垂れる。怒った顔のまま、ローは海兵の服を、海兵はローの服をどうにか着込む。よく見ればサイズが合っていないと見破られるかもしれないが、互いに帽子を被っていたことが功を奏する。深く被っていればまさか30億の賞金首とは思われはしないだろう。
 たしぎはメガネをしっかりと掛け直し、矯めつ眇めつ二人を見比べて頷いた。
「帽子を深く被って、しゃべらないようにしたらきっと押し通せます。声を聞いたらスモーカーさんは絶対に気づきますから気をつけて。あなたたち、この人を囲んで隠せますか」
「任せろ!」
 残留組が胸を叩く。
「あなたはここでトラファルガーの身代わりを。ベポさん。彼を頼みます。私の大事な部下ですから」
「アイアイ!」
 ローの振りをするようにと選ばれた少し体格の似ていた海兵は、たしぎの言葉を反芻して少女のように頬を染めてくねくねと身をよじった。
ローのコートとシャツを着ているのでどうにも不気味である。
「だ、大事な部下だっておれ? 大佐ちゃんの大事な部下?」
「大佐ちゃんのことおれたちも大好き?」
「お前うらやましいぞ!」
「騒いでないで早くしてください!みんな大事な部下です!」
「大佐ちゃ?ん?」
「チッ」
 海兵制服の上着をローはひどく苛立った様子で引っ張った。今すぐ脱いで破り捨てたいくらいには嫌なのだろうということは、たしぎにも伝わった。
「おれは海軍は嫌いだ」
「私たちだって海賊は嫌いです」
 それでも、その作戦以上のものは思いつかなかったのだろう。ローは屈強な海兵たちに紛れ、無事屋敷を抜け出した。

 窓の外で大騒ぎをしながらトラファルガーを囲んで去って行く海兵たちを見送ってベポはほっと肩を落とした。そわそわとした海兵が気遣わしげにベポに声をかける。
「トラファルガー大丈夫か? あいつの能力ならこんな屋敷すぐ抜けられるだろ? 海楼石か?」
「ううん。お酒を飲んだらみんな変になった。ここでどうしてなのか調べてたんだ」
 呟くベポの声はわずかに震えを交えていた。
「でも……仲間が近くに来てたのが聞こえたんだ。仲間はみんな艦で待ってるはずなのに、何かあったんだと思う。じゃなかったらあの二人が島に忍び込んできたりしない。……大丈夫かな、ペンギン、シャチ、みんな……」
「だからあんな無茶な取引を……」
 ベポは頷いた。やわらかな肉球の手のひらで目立つからとおいていかれた鬼哭を握りしめる。
「海軍嫌いのトラファルガーが、素直に服を着るもんだと思ったぜ。そういう事情があったんだな」
「うん……」
「ま、まァあのトラファルガーなら大丈夫だろ。パンクハザードで俺たちの軍艦をさァ」
 励まそうと大手を振った海兵に、ベポははっと顔を上げた。
「パンクハザードに居たの!? ね、キャプテンがどんなふうだったか教えてよ!」
「お、おう! おれ海兵だけど良いのか?」
「キャプテンは政府嫌いだけど、キャプテンが嫌いなものをおれが嫌いにならなきゃいけないってことないから。うちはドライなんだ」
「へー、そんなもんなんだな」
「自由でしょ」
 海兵とベポはテーブルについて話し始める。その様子は、確認した見張りの目にはいつも通り仲睦まじく映ったらしい。
 今もまだ屋敷にトラファルガー・ローは居ることになっている。