三日月ブルーの煩悶 上 - 3/10

#1
 どうしよう……。
 若い巫女装束の娘が俯きがちに肥後の合同庁舎の併設カフェで一枚の紙を睨み付けている。彼女の向かいには蜂須賀虎徹が控えているのですぐに審神者としれた。
 娘は短い間に何度も溜息をかみ殺していた。腕の中の封筒は一枚しか紙が入っていないのに酷く重たく感じているような雰囲気であった。
 事実、審神者は非常に困惑している。
 蜂須賀虎徹が心配そうに審神者の顔をのぞき込んで声をかけた。
「大丈夫かい、主」
「うん……」
 審神者の娘は近侍に曖昧にうなずいて返した。
 今時紙の命令書など、審神者に任命されたときの免状でもらったくらいしか見たことがない。娘が審神者コースの学校を卒業して今年で三年、ようやく本丸に刀が揃い始めた本丸だ。
 周りの同期にペースは遅れつつも、肥前国の第三九聯隊の本丸の一角として時間溯行軍との戦いに明け暮れていた。先だっての熊本の特命調査でも優を与えられ、古今伝授の太刀と地蔵行平が本丸に参陣したばかりである。
 だが、その進捗が周りより遅いことは分かっていた。
 そう思いながら娘がいくら矯めつ眇めつ眺めても命令書の文面は変わらない。 

 肥前ホ-〇〇〇四五六号特殊前線司令部司令官通称府コード“霽月”に下記刀剣男士一振りの相続を命じる。
 刀帳番号〇〇三’番
 太刀 三条 名物 三日月宗近(特級 九九)

 向かいに座る初めの刀は、くるくるとアイスコーヒーのストローを回している。
「断るかい?」
「ううん。流石に命令だもの、仕方ないんだけど。どうしよう蜂須賀……」
 確かに、審神者の娘──霽月は他の同期に比べると出陣による討伐数は少ない。霽月の所属する肥前第三九聯隊の監理官マネージャーにはもっと積極的に出陣しろと言われている。
──でも、出陣すれば刀剣男士はけがをする。血を流し、死と血と鉄の不浄を引き連れて帰ってくる。
 血穢と死穢が襲いかかる。涙が浮かんで、手が震えて、心が恐怖に怯えながらも、霽月は戦いから逃げられない。
 いつまでたっても慣れやしない。
 そんな審神者に引きずられたのか、霽月の顕現させる刀剣男士は皆清廉で優しく、血なまぐさい事を忌避しがちな傾向がある。清らかであることだけが取り柄の本丸だ。
──聯隊長は、霽月殿が得意な部分を伸ばせ。君の能力はこの聯隊に欠かせないものだ。って褒めてくれたのにな。
 けれどそれも監理官には不甲斐なく映ったのだろう。
 とても高名で、有能な審神者の刀剣男士が相続先を探しているのを融通してやろう。彼から歴史修正主義者との戦い方を学びなさい。ときたものだ。
「相続なんて滅多にないことだろう?」
「刀剣男士は忠臣は二君に仕えずが基本だよ。余程の事情があるか、ちょっと変わった刀剣男士が相続先を探すんだって」
 余程の事情──顕現した瞬間に本丸がなくなったとか、主からの虐待を受けていたとか、ただ単に戦が好きだからもっと戦いたいだとか。
 そういう事情が多いのだと霽月は授業で習った。
「ああ……」
 蜂須賀は曖昧に頷く。霽月の憂い顔の理由を半分くらいは理解したらしい。
「戦を学びなさい──だから、多分とっても強くて、戦好きなのかもしれない。大和の怒り月さんみたいな怖い刀が来たらどうしよう」
 はーと深い溜息を吐いて霽月は机に突っ伏す。
 蜂須賀の初陣。
 血だらけで帰還した彼に霽月は悲鳴を上げた。絶叫と言ってもよかった。震える手で手入れをしながらも涙が止まらなかった。
 進軍の速度が遅いのも、怪我をしないよう慎重に慎重に進んでいるからだ。
 初めの刀は蜂須賀虎徹、次いで秋田藤四郎、直後に鶯丸に大包平──けれど、同田貫や蜻蛉切はいない。霽月の本丸に居ないのは好戦的で血を好むようなな刀ばかりだ。
「……蜂須賀、私みんなの主に相応しくできてるのかな」
 蜂須賀はにこりと笑って頷く。
「君がそうあろうと思っているなら、きっと。命令は覆せないんだろう? なら彼を歓迎しようじゃないか。経緯はどうあれ、やってくるのは新しい仲間なんだよ」
 そうだね、と霽月は頷き、拳を握って立ち上がる。
「私もいい加減、怖がってちゃだめだ。戦にもばんばん出て、ちゃんと戦績を上げないと!」
「いいぞ主、その調子!」
 やんやと蜂須賀が声を掛ける。
 本丸に意気揚々と帰り、霽月は着々と準備を整えた。
 練度最高、高名で有能で、戦上手だという三日月宗近がやってくるのは三日後だった。