三日月ブルーの煩悶 下 - 4/8

#13

──ああ、またみんなでトウソウジャー観たかったなあ。夏の映画も、みんなでさあ。
 腕の中で、息も絶え絶えに主は笑う。笑みの口の端から、命の欠片がだらだらと垂れて零れてゆく。
 それを止めることは出来ない。
司令官あるじ……」
 三日月もまた、満身創痍の中、もはや立っていられぬ主をかき抱いて微笑んだ。
「あちらでみんなで共に観よう」
 主はにやりと笑う。表情に死相がありありと浮かびながらも彼はいつものように能天気に笑っていた。
 三日月のもっていたお守りはとうに二三個砕けている。数十個あったはずのお守りはもう一つものこっていない。

──行くぜよ、我等の最後の大戦じゃ! ここがわしらぁの最終決戦じゃ!
 初めの刀が撃鉄を上げながら大声を上げる。
 闇を裂き、暁ひらく銃声。
 それが開戦の合図だった。
 膝丸と髭切は、堂々と切り込んで道を開いた。幾度も折れてはお守りで甦り、ついに道を開く。笑顔のままパキリと軽い音を立てて、真っ先に折れていった。彼らの獅子奮迅の切り込みがなければ、溯行軍の出現ゲートへの血路は開かれなかっただろう。
 大倶利伽羅もまた、光忠や鶴丸と共に遊撃し、光忠と鶴丸に押し出されるようにゲート直前の戦線を維持し続け、太鼓鐘貞宗を庇って折れた。お守りで甦った太鼓鐘は、その仇を討って皆と共に果てた。互いに折り重なるような姿だった。
 持っていたお守りはどんどん減っていく。
──折れては甦る。
 折れても、折れても甦る。
 その内に、自分が生きているのか死んでいるのか、折れているのか、立っているのかも分からぬようになった。
 ただ皆血ぬれた一振の刀であった。
 気が狂っているのか、正しいのかも分からなくなりそうな戦場で、雷のような声が響く。
「みな、絶対に諦めるな! 石見五百の本丸の行く末が我等の刃に乗っていると思え!」
 よく通る大包平の声が、凜とホールに響く。
 燃え立ち輝く炎であった。
──ああ。その光に、この本丸は導かれてきた。
 歯を食いしばり、敵に向かう仲間達はもはや一塊の鋼となる。気付けば、数多の犠牲を払いながらも敵を、出現口であるゲート前ホールに包囲していた。
 陸奥守が笑う。
「第三フェーズ達成じゃ。司令官あるじ、頼む!」
「ああ! みんな、今までありがとう! これで、最後になる!」
 まだ立っていられた刀達がわっと鬨の声を上げる。主、主、と別れの声が剣戟の合間に耳に届く。さようなら、主君! すぐお会いしましょう! いままで楽しかったよ! 主殿! あるじさま!
 今でも耳に残るのは、初夏の清風が如き、悲しいほどに軽やかな彼らの別れの言葉だ。
 主がもう声を出しているのも不思議なくらいに傷ついているのを、刀たちは皆知っていた。
 またすぐ会えるのだから、別れを惜しむことなどない。
大包平レッド、行ってくれるな」
「ああ」
 穏やかなロビーであったはずの合同庁舎七号館のゲート前ホールは今や阿鼻叫喚の地獄絵図であった。折れた刀の破片、流した人の血、灰燼と帰した溯行軍のなれの果て、呪詛と怨嗟の不浄の満ちた第七号館が、石見支局の最終防衛ラインであった。
 たとえ折れても、たとえ死んでも、此処で食い止めねば、石見支局の五〇〇近い本丸全てへの襲撃を許してしまう。外へ逃がした審神者や刀たちによって、今この七号館は封印されている。
 転送門から溯行軍が排出されなくなるまで、この封印が解かれることはない。
 遡行軍が排出される転送門は通常、こちらから入り込むことはできない。
 だが──主は一つだけ対抗策を持っていた。
「大包平、俺、頑張るけど、そんなに持たないかもしれない」
「何、この包平レッドの手に掛かれば、悪の組織の本拠地などCMの間に壊滅だ」
 主が笑い、懐の巾着から小さな白銅鏡を抜いて片方を大包平に持たせる。光り輝きながら大包平の身に溶けていく神器を三日月は神妙に見守った。
 大包平が三日月に命じる。
「三日月、俺が成し遂げるまでは折れても主を護れよ」
「言われずとも。……もう、無茶をするなとは言わぬよ、我等がリーダー。……頼んだぞ」
 彼はくしゃりといっそ稚く笑って、三日月の肩を叩いた。
「今まで世話になったな、三日月ブルー
「さらばだ、大包平レッド
 もう彼は振り返りはしなかった。鶯丸と平野が文字通りの捨て身で切り開いたゲートの隙間に、彼の姿がが消えていく。大包平の目の端に光るものが見えたが、それでも彼は振り返らずに進む。
 ゲートが地震にあったように揺れ、どば、と単発的に溯行軍が飛び出してくる。仲間達が、その溯行軍と相討つように折れていく。三日月と主を狙った槍の一撃をその身で受け止め、我等の初めの刀は、太陽のような笑顔で三日月に主を託して折れた。
 三日月も主を庇って幾度となく刃を受けるが、それでも敵の勢いは三日月の守りをすり抜けて主を切り裂いていく。
「三日月、すまん……っ」
「謝るな。……何、あれほど暴れたのだから先に行った源氏兄弟が茶でも淹れて待っておる。彼方でくらいあやつらも落ち着けば良いが」
 三日月の軽口に、主は肩を揺らす。
 もう目も半分潰れている。
 だが、誰もがこのために刀の命を賭したのだ。大包平も、鶯丸も、源氏兄弟も、陸奥守も、秋田も山伏も、皆。
 まだ主を死なせてやるわけにはいかぬのだ。
 今ロビーに遺っているのは三日月と主だけだった。折れた刀達は、主と三日月を護るように床に突き立っている。
 気配を頼りに三日月は手に触れる刀を振るい、時間溯行軍の短刀を折る。今手に取ったのはおそらく先ほど折れた鶯丸の刀身だった。彼の淹れるほうじ茶が三日月は一等好きだった。
 名状しがたい程の深い深い悲しみと、痛みが動きを止めそうになる三日月を突き動かす。一度でもそれに足を取られたら主諸共動けなくなりそうだった。
 壁に背をつけ、主を必死に抱きかかえながら、彼の呼吸がどんどん細くなっていくのを感じた。
「……人間至る処青山在り。おれの好きな詩」
 主がぽつりと呟く。
「三日月はやっぱり俺のブルーだったな」
 だんだんと冷たくなる身体を抱きしめて、三日月は死ぬな、と縋った。
「大丈夫、レッドは成功するさ」
 主がそう言ったのと同時に、ドン、という音と共にゲートから地響きのような異音が響く。
「ああ、またみんなでトウソウジャー観たかったなあ。夏の映画も、みんなでさあ」
「……あちらでみんなで共に観よう」
 主はいつものような、能天気な顔でにかりと笑う。
「……主、ゆっくり寝ておれ。この白刃戦隊三日月ブルーが安眠を約束しよう。俺は──おまえの墓だ」
 主をきつく腕に抱きかかえる。
 せめて審神者の一人でも道連れにしようと襲いかかる残党に、血濡れた鋒を突きつけた。
 ふと、腕の中の主が目を細めるだけで笑う。パキン、と鏡が割れる音が主の胸元で響き、転送門が崩れていく。
──ああ、やってくれた。
 最期の吐息をはき出して、主はそのまま目を閉じて、二度と開きはしなかった。