六章 今を生きていく - 2/6

41
 ローとしばらく話が弾み、体が軽くなってきたところでロシナンテは予備の雑用服に袖を通した。誰かが整えてくれていたので後で礼を言おうと心の中でメモをする。
「……雑用」
 ベッドサイドでロシナンテが海兵の制服を着るのをつまらなそうに見ていたローは、じっとりとした目で大きく縫い込まれた雑の文字を見て呟く。嫌悪感はないが呆れと哀れみの勝った声にロシナンテはがっくりと項垂れた。ナギナギの実の能力を披露したときと変わらない目だ。
「コート着てたときはおれだってかっこよかったんだぞ……」
「別に興味ねェよ。なァ雑用よりも海賊する気は?」
「ねェなー」
 ぱりっと糊のきいたスカーフをきちんと結んでロシナンテは船室のローを振り返った。
「じゃ、おれはセンゴクさんと話してくるからあんまりウロチョロするなよ。ここ海軍の艦なんだからな」
 ローに言い含めてロシナンテは船室を出る。
 道行く海兵たちに口々にねぎらわれたり手柄をやっかまれたり小突かれたりと暖かい歓迎を受けながら艦長室にたどり着く。
 通常ならスモーカーの部屋だが、今はセンゴクが本部との連絡に借りていると聞いていた。
 わずかな緊張を押さえて、ロシナンテは扉をノックする。
「センゴク大目付、雑用ロシナンテです」
「入れ」
 艦長室の机は電伝虫と報告書が整然と並んでいる。いくらかはスモーカーの分だろうが、見える限りはエルガニアでの任務の書類が多かった。
「まずは任務成功ご苦労。よくやってくれた。一時は混乱していたが、本国も薄々はこの過剰な富を恐れていたらしい、そちらから調査と復興を始めるそうだ」
「それはよかった。エルネスト爺さんも大丈夫ですか?」
「ああ、あのご老人もお孫さんが驚くくらいに元気だそうだ。あとで会いに行きなさい」
「はい」
「まだ本部からは返答が無いので、少し別の話をしようか。ロシナンテ」
 ぎくり、と肩が揺れる。額にいきなり変な汗が垂れたような気がする。
「さて、何か申し開きはあるか?」
 ずしん、と質量を増したセンゴクの声に、ロシナンテは笑顔を引きつらせた。
 気が付けば艦長室には夕暮れの日差しが差している。
 ロシナンテが起きたのが昼過ぎだったので島での騒動が終わってからはもう丸一日が経っている。ならば、センゴクに掛かればロシナンテからの報告を覗いて殆どの処理が終わっていてもおかしくは無い。そうなると、センゴクはおそらくロシナンテの最大のドジに気が付いている。
 ロシナンテの想像が付く今回の任務の申し開きは一つだけである。
「えー……っと」
「姿勢!」
「はいッ!」
 頭を?いて目を逸らそうとして叱責が飛ぶ。海兵の習性とは悲しいもので、そう言われると3メートル弱の体がピンと棒を差し込まれたように伸びて敬礼姿勢を取るようになっている。
「報告」
「──天竜人の手先の関与は一番島への上陸時に察知しておりましたが、まさか奴隷目的とは思わず経過報告を怠りました!」
「理由はそれだけか? なぜ奴隷目的と判断した?」
「……センゴクさん、おれカマ掛けられてます?」
「お前が尻尾を出したのが悪い。おかき、こっそり食べてなかっただろう」
 ロシナンテは深々とため息を吐いてぐったりと肩を落とした。
──そっちかァ。……てっきりセンゴクさんのおかきをこっそり食べたことかと
 と、誤魔化したのはG-5支部でのことだ。てっきり誤魔化されてくれていると思ったが、流石に〝知将〟センゴクを欺くには自分の実力が及ばなかったらしい。
「はい。天竜人におれの生存、バレてます」
 諦めて背筋を伸ばした。
「──牽制ですかね。お前をいつでも殺せるぞ、余計なことすんなってかんじの手紙が病院にいた頃に神の騎士団からきましたよ。実際、おれが邪魔になれば処分するでしょう。兄に対しての人質に取られてないのが不思議なくらいです。一応あそこでもおれたちが殺し合ったっていう情報くらいは入ってるんでしょうか。任務受けるって決めた時にビリビリに破って捨てましたけど!」
 運が良ければまるっと一年──その前に、邪魔になれば世界貴族の手で殺される可能性もある。
 ロシナンテの命の期限はそういうものだ。センゴクが眉間に皺を寄せてうなだれた。
 ロシナンテとセンゴクの間に降りた沈黙を破るように人影と煙が現れる。
「コラさん……!」
「先輩、アンタ何者だよ」
「お前たち……立ち聞きするなら最後まで外にいないか」
「お前ら仲良く盗み聞きしてんじゃねェよ!」
 ロシナンテがぎょっとすることに、全く気配の感じなかったローとスモーカーは扉の向こうで息を潜めていたらしい。防音壁でも張っておけば良かったと後悔してももう遅い。
ロシナンテと反対にセンゴクは気付いていたらしく、驚くでもなく軽く窘める。
「で、でもおれは兄と違って長子でもねェし、そもそもおれはとっくに廃聖されてますし」
「聖地とて時代のうねりに無関係ではいられん……。世界会議以降インペルダウンへの圧力も強まりつつある……。今後おれの下に着かせてもお前を守り切れるかはわからん」
「センゴクさん……」
 椅子に掛けて眉間を揉み解すセンゴクに、ロシナンテは酷く不安な気持ちになった。
 スモーカーは会話の中でなんとなく察するものがあったのかぎょっとした後で険しい顔で耳を傾けている。ローはロシナンテの横でいつのまにか持ってきていた大太刀を提げていた。指が鯉口に掛かっている気がする。しかしローを止めないと、と思うよりも先に弱々しい言葉が零れる。
「お、おれやっぱり海軍に居ちゃあ迷惑ですか……」
 全く情けない弱音だった。昔、海兵になる前に戻ったような情けなさに項垂れる。
 それを笑い飛ばすのもまたセンゴクだった。
「馬鹿野郎、このセンゴクがそんなに優しい男に見えるか? お前の命だけを考えるなら、今すぐ除隊させてトラファルガーのところにでも置いていく。──そうするには惜しい海兵だよ」
「センゴクさん……!」
 感激しているロシナンテの横で、トラファルガーと指さされたローは意地悪く口角を上げて刀の石突を床に付けた。
「おれはそうしてくれてもいいが?」
「こら、ロー!」
 生意気を拳骨で黙らせると、ローは不満げにロシナンテを見上げた。それを見てスモーカーの方がぎょっとしている。
「とはいえ、このままだと危なっかしくておちおち任務に出せん。本部なんてもってのほかだしな」
 センゴクは懐から厳重な小箱を取り出して机にのせる。
「というわけで、こういうものを取り寄せてもらった」
「これは?」
「お前なら見れば分かるだろう」
 ロシナンテは見たことの無いシステムで、センゴクの指を押しつけられた小箱がパカリと開く。
 その中に入っているものを認識した瞬間、ロシナンテは全力の剃でもこんなに早くないのではないかと思う速さで船室の壁に張り付いた。
 冷や汗が先ほどの比でなくだらだらと流れる。
「何持ってるんですかァ!? なんでここにあるんですか!?」
「おや覚えているか」
「流石に……」
「ガープが持ってきたんだ」
「えっじゃああのときガープ中将がわざわざ来たのって……」
「流石にあれでも英雄だぞ。ただの書類の使いっ走りにはしない」
 そりゃそうだ……と、なるべくそのものから距離を取りたいあまりに壁に張り付いたままロシナンテは納得した。
 これを運ぶなら中将レベルの護衛はいるだろう。ガープさん、触るのも嫌だろうに……と同情が沸き起こる。
「コラさん、なんだこれ」
「……証明チップ……」
 怪訝そうなローにぼそりと呟く。ローとスモーカーは首を傾げた。
の、証明チップだ」
 真っ青になったロシナンテの補足に、流石にローとスモーカーもぎょっとしてその小さなチップを見つめた。
「これはミョスガルド聖が快く、すこしばかり無理を通して用意してくれたものだ。万一は使えと」
「ミョスガルドォ!? ミョスがなんで!? あのクソ馬鹿が!? おれに!? 何で!?」
 ドンキホーテ・ミョスガルドの名に、今度こそロシナンテは失神するかと思うほどに驚いた。
 同じドンキホーテ一族だが、父母と違って大変に──本当に大変に性格が悪かった。あの地にいるときは分からなかったが、あれほど悪趣味の片鱗を見せていた世界貴族もいなかっただろう。
 海兵として世界貴族の横暴を知る度、その血が自分に流れているのを恥じたのも同じ一族であるこの男の所業の所為が大きい。
 アレルギーでも起こしたかのような拒絶反応にセンゴクは目を丸くして、その後でああ、と頷いた。
「ああ……お前は知らないのか。あの方は天竜人の中で唯一ガープと会話が通じる人でな。今は状況が悪いが……いずれ会いたいと言っていたぞ」
「あの人魚狂いの洟垂れクソヘボチビがおれに会いてェ!? 天竜人嫌いのガープさんと会話が!? 何で!?」
「落ち着け」
 口が悪い、とセンゴクに窘められつつロシナンテは混乱して海兵として鍛えられた罵倒が飛び出すのを止められなかった。
「……まァ、人は変わるんだ。おれも驚いたよ」
「つまりこれをつければ、コラさんが天竜人になるってわけか」
「そういうことになるな」
 小箱からつまみ上げたそれを面白そうに見物するローがセンゴクに尋ねる。
「おれも初めて見た。噂には聞いたことがあったが」
 スモーカーはしげしげとそれを見る。その目がただ珍しいものを見る目をしている。
 三人とも何という腹の据わり方かとロシナンテは慌てている自分が情けなくなって咳払いする。
 センゴクがミョスガルドに対して少々友好的なのも理解が及ばないが、それはいったん置いておこう。
「センゴクさん。おれにこれをまた付けろと?」
「いやそうだな」
 センゴクが苦笑する。
「それをつけたところで、おれぁもうアレには戻れませんよ。なんなら、フィガーランドに見逃されてるのだって、おれが
「命令ではないから安心しろ。だが、持っているだけで厄払いの効果はあるだろう」
「いやだァ……」
「なんだ、手術のついでに付けてやろうか? 別にコラさんならいいよ」
「い! や! だ! ──って手術?」
「ポーラータング号で準備は済んでる。良かったな、人の多い島で。アンタが寝てる間に全部準備は終わってる。気を楽にしろ。……オペオペの実の真骨頂を見せてやる」
「えっ!?」
「それが終わったら懇親会だぞ」
「……勝手に準備せんでください、大目付」
「はははは」

 その時だった。
 ジリリと電伝虫が会話を裂くように鳴く。ぴたりと声が止まった。