#4
主を含めた人数分の茶を淹れながら、三日月宗近は己の配属された本丸の優秀さにご満悦であった。
何しろ、出陣中に一度も怒鳴っていない!
前の本丸では三日月が主や仲間を怒鳴りつけて止めぬ日はなかった。
単身で敵の中に飛び込んで「あとフォローよろしく頼んだ」などとのたまう仲間のなんと多かったことか。赤い色ということで、自分と同日に顕現された大包平など本当にとんでもなかった。鶯丸はそれを止めずに増長させるばかりであるし。
自分の身を捨てても敵を討とうとするのは心臓に悪いから止めて欲しいと常々言い聞かせているというのに、どんどん舞い込むあらゆる任務ではそうしなければ、にっちもさっちも行かぬ戦場も多かった。必要な勇気だったのは分かる。
それでも、三日月は彼らの危うさをどうにかしたかったのだ。
──出来なんだゆえ、あの惨状だが。
丁度良い程蒸らして注ぎ、三日月はゆらゆらと湯気を立てる湯飲みを見下ろした。
ここは清らかで穏やかな本丸だ。
この本丸に来てまだ一日もたっていないが、ここを護るべき理由ははっきりと胸に兆している。
穏やかで清らかで、刀が戦刀としてばかりではなく、主の守り刀として過ごせる日々をここで過ごしていきたい。
本丸全休日だという日曜日の朝には前の主の好きだったテレビ番組を見て彼らを偲ぼう。
命日には墓参りにいくことも、今の主は赦してくれている。実家を出奔し、縁を切っているので前の主を供養するのは三日月にしか出来ぬことだ。
それができれば、十分だ。
盆をもちながら縁側に向かえば、前の本丸と違い、単身敵陣に突っ込む事など一切しなかった素晴らしい大包平が丁度立ち上がって拳を握っている。
驚きながらも茶を配れば、それを受け取りながら主は恐る恐る三日月を見上げた。
「すごいですね。三日月さん自らお茶を淹れてくださるなんて、初めて聞きました」
「そうだねえ。君はだいたいお世話をされる側だときいていたから。お茶を淹れてくれるなんてびっくりしたよ。ありがとう」
石切丸の笑顔に、内心で焦りながらも三日月は微笑んだ。
「……はっはっは、もちろん世話をされるのも好きだぞ」
「三日月宗近! 手合わせだ! 俺と手合わせをしろ!」
「俺とも頼む。あなたの剣筋をもっと見せて欲しい」
大包平が三日月に挑めば、目を輝かせた蜂須賀もお茶を飲み干して立ち上がる。
「ああ、もちろん。このじじいでよければ相手になろう」
このまま何事もなく、新たな本丸で新たな日々を過ごしていくのだと、三日月は疑っていなかった。
手合わせで霽月本丸の全ての刀剣男士を一振りで勝ち抜いた三日月宗近はにっこりと笑いながら最後まで食らい付いた大包平の手を引いて立ち上がらせる。
「化け物か貴様……」
「いやいや、俺はただの刀剣男士さ。俺くらいの刀剣男士はごろごろおるぞ」
肩で息をする大包平は伸ばされた手をぐっと握って、ぎらぎらと三日月を睨み付ける。
「余裕ぶるなよ、じじい。今に俺が勝つ!」
「はっはっは。それは──楽しみだな」
大包平の目をまっすぐに見返して、三日月は初めて燃え立つような笑顔で応えた。それは微笑みと言うには好戦的で、いくつもの戦場を駆け抜けた歴戦の刀剣男士としての笑みがうつくしい顔に浮かぶ。
その瞬間に見えたものに座して観戦していた霽月を総毛立たせた。
彼の背の向こうに数多の血なまぐさい戦場と、床に突き刺さる血濡れた刀が見える。彼を通して、真っ黒な鉄さびの部屋が見える。
墓土の匂いがする。深い、深い赤い色がべったりとその太刀にこびりついて見える。
ひゅと娘の喉が塞がった。
──怖い。怖い、この刀は怖い。
顔を青くさせた霽月は、そのままそっと道場を辞し、一人執務室でこみ上げる恐怖と吐き気を堪えていた。がたがたと震えている拳を握る。
「主君、お水をお持ちしました」
「ありがとう……」
悟られていたらしい秋田に手渡されたグラスの水面は揺れている。
「兄さん……、たすけて、兄さん」
月の夜に白木の鳥居を抜けて、娘を捨てて去って行った人を呼んでも助けはこない。
がたがたと手が震えて、涙がこぼれる。その背中を秋田がさすっている。蜂須賀も駆けつけて、怯える娘をいつものように落ち着かせる。
優しい刀だった。月は娘にとって親しみ深い輝きで、三日月宗近もそれに相違ない美しく穏やかな刀であることが分かる。
なのにどうしても恐ろしい。恐怖を克服出来ない。
自分の気の弱さが辟易するほど嫌なのに、三日月が恐ろしく思えてならなかった。